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更新日:2015年4月1日

情報029:世界で最も大きな陶器、茨城県の巨大花瓶

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情報029世界で最も大きな陶器、茨城県の巨大花瓶

笠間焼陶器の老舗窯元製陶ふくだ

知識と技術と情熱で作る笠間焼の巨大花瓶

茨城県に、日本の伝統の技を駆使して作り上げた“世界一”があります。それは、世界最大の『巨大花瓶』。最大で、高さが10.7メートル、直径約2メートル、重さは6.5トンという大きさです。笠間市内を走る国道355号沿いや、北関東自動車道の笠間パーキングエリアにも設置されているので、見覚えのある方も多いのではないでしょうか。でも、こんな大きな花瓶、一体誰が、どうやって作っているのでしょう?

製陶ふくだ

製陶ふくだ

 

この巨大花瓶を製造しているのは笠間市にある『製陶ふくだ』の福田実さん。製陶ふくだは1796年(寛政8年)に創業し、さまざまな笠間焼の陶器を作り続けてきた老舗の窯元です。最初に製作した巨大花瓶の窯出しは1990年4月。それ以来、7本の巨大花瓶を生み出し、現在は8本目の製作に取りかかっています。

 

世界最大の花瓶

世界最大の花瓶

 

もちろん、普通の窯に入るサイズではないので、作り方も独特です。まず、直径1.5メートルのロクロの上に10センチメートルずつ粘土を積み上げます。そして粘土が乾燥するまで約3日間待ち、その上に粘土を積み重ねること約130回。日数にして、約400日はかかる作業です。成型が終わったら、足場のあるうちにコンプレッサーで約60キログラムの釉薬(うわぐすり)をかけ、周りをすっぽりと覆った窯で焼き上げます。

焼くと言っても、これだけの大きさになると大変です。4種類のバーナー12台とガスバーナー10基を使い、石油ドラム缶30本、重油38本、プロパンガス500キログラムで、12日間焼き続けます。焼いている間は、24時間、火の管理を怠ることはできません。

 

こうして、全行程を終了するまで約20か月。作り方のコツは、花瓶を窯出しする最終作業から考えることだと福田さんは言います。また、粘土は乾燥すると縮み、高さが沈みます。しかも、沈み方はその時の気温や湿度に左右されるので、計算通りには行きません。知識と技術に裏付けられた長年のカンが最も重要になるそうです。

世界の焼物博物館

世界の焼物博物館

 

南米ペルーの国立博物館にも設置

製陶ふくだの福田実さんは、笠間焼の可能性を大きく広げた職人の一人。いまから40数年前、日本的な日用雑器だった笠間焼で、コーヒーカップやビールジョッキを作り始めました。当時は水戸市にも喫茶店が数店しかなかった時代。もちろん、そう簡単には売れませんでした。でも福田さんは諦めず、数々の展覧会に出品し続けたと言います。すると、あるアメリカ人の目にとまり、輸出が決定。かなりの数量を販売することができたそうです。

 

世界の焼物博物館

巨大花瓶を作ろうと思ったきっかけは、ドイツの哲学者ニーチェの影響だと言います。人は誰でもいずれは死に至ります。それを常に意識し、残された時間の中で自分にできることは何なのかを考えたとき、巨大花瓶の製造に思い当たったそうです。

 

世界の焼物博物館

こうして製作された巨大花瓶は、海を越えて南米のペルーにも設置されています。ペルーでフジモリ氏が大統領を務めていた時代、日本と国交が閉ざされた時期がありました。それを悲しんだ福田さんは、日本とペルー両国のために、巨大花瓶を送ることを思い立ちました。

 

そして、それを日本のペルー大使に伝えると、フジモリ大統領が大変喜び、ペルーの国立博物館に設置を決定。ペルー最大最古の新聞エルコメルシオでもトップ記事として紹介され『巨大花瓶、二つの国家を一つにする』と、大々的に報じられました。

「日本の国宝や重要文化財の多くは、無名の職人が作ったもの。長い歴史の中でその価値が認められ、自分の作った陶器が国宝になったら嬉しいですね」と、福田さんは語っていました。

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伝統を受け継ぎ進化する茨城県の笠間焼

笠間焼の生産が始まったのは、江戸時代中期。箱田村の久野半右衛門延が、近江信楽の陶工長右衛門を招いて窯を築き、陶器を焼いたのが起こりとされています。のちに笠間藩主の仕法窯として保護され、甕やすり鉢などの日用雑器が作られるようになりました。幕末から明治時代にかけては、東京に近いという利点から、大量に作られるようになり、技術者や従事者も飛躍的に増加したそうです。

しかし、終戦後はプラスチック製品などが多くなり、人々の生活様式も変化。需要の減少とともに、笠間焼を作る職人も大きく落ち込みました。そして、復興の大きなきっかけとなったのが、茨城県窯業指導所の設立です。そこでは従来の日用雑器から工芸陶器への転換を目指し、工芸陶器を目指した釉薬の改良や粘土の研究などが行われました。

そして、笠間焼の新しい作品は、日本はもちろん海外でも高い評価を獲得。日本経済の復興という追い風も受けて、県外からの研修生や築窯希望者も増えて行きました。昭和45年には30か所、昭和55年には100か所を数える窯元の数も、笠間焼の隆盛を物語っています。

また、笠間焼は『のぼり窯』という、山の斜面を利用して作られた窯で焼かれるのも特徴の一つ。細長い部屋を坂のふもとから数室連ねて、次第に室内の容積を大きくし、余熱を利用しながら焼いて行きます。現在は、電気窯やガス窯を使うところも多くなっていますが、炎の“いたずら”から生まれる風合いは、電気やガスでは絶対にまねのできないものです。

のぼり窯

のぼり窯

 

のぼり窯内部

のぼり窯内部

笠間市では、毎年、4月29日から5月5日にかけて、笠間焼の展示販売などを行う陶炎祭(ひまつり)を開催しています。ここでも福田実さんが実行委員長を務めています。さまざまなイベントも行われているので、ゴールデンウイークにご家族で訪れてみてはいかがでしょか。
秋には「匠のまつり」も行われます。こちらへもお出かけ下さい。

取材協力

製陶ふくだ(外部サイトへリンク)

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