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更新日:2015年4月1日

情報043:もむ(担ぐ)神輿として、日本最重量・2トンの平成神輿

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下館祇園まつり・平成神輿

映画の題材にもなった平成神輿

重さは何と2トン。実際にもまれる(担がれる)神輿として、日本で最重量を誇るのが、下館祇園まつりの平成神輿です。幅は約1.4メートル、高さが3.5メートル、担ぐ棒の長さは縦7メートル、横6.4メートルにもおよびます。沖縄国際映画祭・地域発信型映画の出展作品『またいつか夏に。』の題材にもなったことから、その存在をご存知の方も多いのではないでしょうか。
神輿の胴の上の周囲には十二支の彫り物、屋根や台輪、長押など漆の部分には貝殻入りの螺鈿塗り(らでんぬり)に金箔仕上げの彫刻が施してあり、一つの美術品としても見どころが豊富です。

 

鷹をシンボルとした明治神輿

この下館祇園まつりでは、他にも、重さ1トンの明治神輿、女性だけで担ぐ姫神輿、旧下館市内から参集する30数基にもおよぶ子供神輿による渡御(神輿が進むこと)を目で楽しむことができます。明治神輿はその名の通り、明治28年(1895年)に日清戦争の戦勝記念として造られた歴史ある神輿。日清戦争の戦勝記念として、胴の上、四方に日章旗と軍艦旗の彫刻が施され、その間には鷹も彫刻されています。ちなみにこの鷹の彫刻に関しては、日清戦争時の巡洋艦『高千穂』が由来。戦争勝利時に鷹が飛来したとの事実に基づき、シンボルにしたのだとか。
1世紀近い歳月を経た明治神輿の老朽化に伴い、平成4年(1992年)に、日本最重量の平成神輿が造られました。しかし歴史ある明治神輿も、平成22年(2010年)、見事に修復。平成と明治の大神輿による、時代を超えた競演は、まだまだこれからも続いていくでしょう。

それぞれに見どころ宿る、姫神輿と子供神輿

女性限定の姫神輿を担ぐ女子の会として『玉依会(たまよりかい)』が存在します。これは神話に出てくる女性の神様である玉依姫命(たまよりひめのみこと)にちなんで付けられた名前です。
30基以上の子供神輿による連合渡御もまた、下館祇園まつりの大きな見どころの一つ。地域の未来を支えていく子供たちが躍動感にあふれる様子で渡御していく姿は、多くの観覧者にとって何かしらの感情を揺さぶるはずです。
笛・大太鼓・タッパと呼ばれる小太鼓によって構成される祭囃子は、関東の祭りの中でも珍しい独特のゆったりした哀愁を帯びたリズムで、一聴、一見の価値があります。

 

4コマ・マンガ「ガマくんとローズくん」

下館祇園まつりの歴史的背景

ここで下館祇園まつりの歴史についてお話しましょう。まず、下館祇園まつりの大元となる羽黒神社の存在について。この地域の羽黒神社の始まりは、戦国の世の初期、室町時代に遡り、時は文明13年(1481年)、下館城初代城主である水谷勝氏(みずのやかつうじ)公が、領内の安堵をはかるため、尊崇(そんすう※意味は、尊びあがめること)していた出羽国(山形県)羽黒大神を勧請(かんじょう※意味は、分霊を他の神社に移して祭ること)したということが起源になります。

下館祇園まつりの原型となる祭りも、おそらくこの頃に始まったものとされていますが、現在のような神輿渡御が、いつの時代・時期から定着したものなのかは、はっきりとはわかっていないようです。
ある説によれば、幕政下の菅谷村(現在の筑西市菅谷)や、市野辺村(現在の筑西市市野辺)などの近在の村々で行なわれていた神輿渡御を、下館町内でも行ないたいと、明治3年(1870年)に上町・下町の名主、組頭たちが、当時の小参事である衣笠政好に願い出た、というのが神輿渡御の始まりといわれています。

 

下館祇園まつりの、定義とルール

伊達組(男性)、玉依会(女性)のハッピ着用。

開催は、7月最終木曜日からの4日間。

渡御順路は、2010年までは稲荷町通りと大町通りのみだったが、2011年からは、年ごとに順路を変え各地区に神輿を渡御することに。

羽黒神社へのお宮入りは、3日目、子供神輿が班ごとにお宮入りし、最終日の川渡御の後に明治神輿がお宮入りする。

 

川で神輿が担がれる異形の風景

最前の定義とルールの記載の中に『川渡御』という言葉が出てきました。この川渡御こそ、下館祇園まつりのクライマックスを飾る、大きな見せ場です。4日目、最終日の早朝。市内を流れる勤行川(ごんぎょうがわ)にて、期間中、神輿に宿した氏子のけがれを川に流し清める禊の神事が、この川渡御なのです。
川で行なわれる渡御は、日本全国の祭りを見渡しても非常に珍しく、それだけに衆目を集めます。勤行川が国道50号沿いであることから、その日、その時間帯には、自動車渋滞が発生する程。下館祇園まつりの行事を知らない人が見かけたら、いったい何が起きているのか、と相当に驚くのではないでしょうか。

余談ですが、2011年、2012年は、残念ながら川の増水というアクシデントがあり、川渡御は行なわれず、クレーンで神輿を吊るし、周囲からバケツで水をかけるという形で行なわれました。話を戻すと、川渡御を済ませた神輿は羽黒神社へと戻り、神殿のまわりを3周してからお宮入りとなります。

18万人もの観衆を魅了する、下館祇園まつり

下館祇園まつりには、大勢の人たちで賑わいます。2012年には、4日間(最終日の早朝、川渡御を含む)で観衆は延べ18万人を記録。JR下館駅前北口からの駅前通りには、写真でもわかるように、壮観な祭りの光景を確認することができました。夏を彩る素晴らしき下館祇園まつりは、県内県外を問わず、もっと多くの人々に知ってほしく、実際に訪れてもらいたい、茨城県が誇る素晴らしい祭りの一つです。
また、平成神輿、明治神輿、姫神輿、山車などが、しもだて美術館を擁する、筑西市の施設・アルテリオ1階にて、常時、展示されています。下館祇園まつりにおける事前の下調べも兼ね、休みの日に訪れ、ゆっくり過ごすのも一興というものではないでしょうか。

 

関連リンク

筑西市観光協会(外部サイトへリンク)

 

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