たけや
竹矢
石岡市
明治初期からの技術
石岡市の竹矢づくりは、明治維新に禄を離れ旧八郷町に居を構えた笠間藩士、小池半之丞義高の子孫で、義高の子、義行(嘉永元年生まれ)が、糧を補うために始めたもので、義行が以前、笠間藩の江戸詰め家老の時代に徳川公の弓矢職人、大森政長と知り合い、大森政長を旧八郷町に呼んで数年間教示を受けたのが始まりであった。
自然の良質の矢竹が材料
材料は筑波山周辺にしかない良質の矢竹で、強度があり竹の品質に歪みがなく、形の整ったものであることが特徴である。
矢竹は矢篠(やじの)ともいう。
矢竹は伐採後、半年ほど天日乾燥し1年後に矢を作り始める。良い矢を作るには、矯正(矯める)、色付け「(火入れ)木炭で特殊な釜を作り」均等に炙り矯め木で竹の素性を矯正することに始まります。
製造工程
- 乾燥→
- 切断→
- 荒矯(炭火釜と矯木)→
- 節削りと表皮削り→
- 中火入れ(炭火釜と矯め)→
- 磨き(石と川砂、荒磨きともいう)→
- 本火 (炭火釜と矯め) →
- 竹磨き(竹と川砂)→
- 小削げ(ごく浅い表皮を削る)→
- 木賊磨き→
- 艶磨き→
- 釣り合いをとる→
- 置き矯め
