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更新日:2016年3月25日

いばらきの川紹介_川の名前の由来(第3回)

「いばらきの川」の紹介


第3回川の名前の由来(H23年4月12日)

 

  川の名前の由来には,地名によるもの,川の性格によるもの,水源によるもの,故事によるものなど様々で、また諸説がある場合が少なくありません。ここに県内の主要河川の名前の由来について紹介します。

1利根川
「利根川」の名称が初めて文献に見えるのは「万葉集」です。万葉集に見える「刀禰河泊」の「トネ」については,いくつかの説があります。例えば,利根川の水源地が利根郡にあるため,利根郡中には尖った峰(利き峰-ときみね)が多く,その簡略転化によるとするもの,水源の大水上山の別称刀嶺岳・刀根岳・刀称岳・大刀嶺岳に由来するものなどです。「トネ」の語源をさらに遡ると,それはアイヌの古語にまでいきつき,ちなみにアイヌの古語「トネ」は,「沼や湖のように広くて大きい河」を意味しているといわれています。
また,利根川は,古来より「坂東太郎」と愛称されてきていますが,坂東とは,往古,関東に通じる2大官道,東海道と東山道の現在の足柄峠と碓氷峠付近より東方の地域を意味しました。従って坂東太郎とは,坂東にある我が国最大の河川という意味です。なお,「筑紫次郎」は九州の筑後川,「四国三郎」は四国の吉野川のことです。

2霞ヶ浦
「常陸国風土記」の中の行方の郡条にある,「香澄(かすみ)の里」に由来するといわれ,大足日子(おおたらしひこ)(景行)天皇がおともの臣下に「海には,すなわち青い波が漂っており,陸には,これまた,赤色の霞がたなびいている。国がその中にあると私の目にはみえる。」と仰せられた,とあります。古代に「流海(ながれうみ)」とか「浪逆(なさか)の海」と呼ばれた霞ヶ浦は,中世に入って「霞の浦」と歌に詠まれていますが,鹿島灘の「外の海」に対して「内の海」ともいわれ,「霞ヶ浦」と呼ばれるようになったのは江戸時代になってからのことです。

3鬼怒川
鬼怒川は,古くは絹川,衣川,さらには毛野(けぬ)河とも書かれましたが,これは,毛野国(上野・下野両国の古称)を流れる川という意味です。またアイヌの古語では「葦の野原を流れる川」を意味するといわれています。

4小貝川
小貝川は,子飼川,蚕養川とも書き,前井川,幸田川等の別名をもっています。小貝の名は,流域の貝塚から小貝がたくさん採れたことから呼ばれることになったといわれ,常陸・下総の国境を流れていたので国境(こっかい)がいつか「こかい」になったともいわれています。一方,アイヌの古語で「膝までの川」の意味をもつともいわれています。

5那珂川
那珂川は,「常陸国風土記」には「粟(あわ)河」(上流に阿波郷(桂村)があるため名付けられる)また万葉集には「中」と詠まれています。「ナカ」は茨城の郡と久慈の郡との中間を意味しているといわれています。

6久慈川
「常陸国風土記」の久慈の郡の条に,「久慈」の由来で「郡家から南,小さな丘がある。その形が,鯨ににている。倭武天皇(日本武尊(やまとたける))は,久慈と名をつけられた。」とあり,この郡名に由来します。

7桜川
県内には桜川を称する法河川(一・二級河川)が4河川あります。いずれも川沿いの桜並木により有名な河川です。霞ヶ浦に流入する桜川は,最上流部桜川市磯部の国指定の天然記念物となっている「桜川のサクラ」,そして最下流部の土浦市の桜(明治43年の水害後,道祖神信仰者が桜樹の寄進をしたことに始まる)が有名です。また,水戸市を流下し那珂川に合流する桜川は,桜山の桜が有名ですが,元禄7年(1694)徳川光圀が桜川市磯部に観桜に訪れて,桜を見川に移植したといわれています。
一方,「茨城地名のはなし」によると,桜川の桜花に関係した伝説や昔話は,地名形成後の付会(ふかい)であって,サクラはサクマと同じで低い山と山,山と丘の間の細長い窪みのことであり,桜川はそのような谷間を流れる川である,としています。

8五行川
平将門が,この川のほとりで真岡の大崎明神に戦勝祈願の勤行をしたため,また中館観音の僧が,この川で水垢離(みずごり)をして名付けたともいわれ勤行川(ごんぎょうがわ)ともいわれています。


筑西市を流れる五行川


9巴川
巴川は,古くは鞆絵川と書かれ,茨城・鹿島・行方の3郡を三つ巴になって屈曲して流れていたため,この名称がつけられたといわれています。

10小野川
水源の地名が小野崎ということから名づけられたという説と,「おの」はたくさんの野と同義で,広い流域で多くの野を潤している意味を持っているといわれる説があります。

11東仁連(ひがしにれ)川,西仁連(にしにれ)川
戦国時代から流域の地名として「仁礼」の名がみえます。また,「にれ」は,ヌレ(濡れ)の転で湿地,あるいはヌラ(滑)の転でなめらかな地形をさすともいわれています。

12糸繰川
川の神様にちなむもので,遠い昔,小貝川には,「蚕飼(こかい)川」と呼ばれ蚕(かいこ)を飼っていた養蚕の神様が,鬼怒川には「絹川」と呼ばれ絹にする絹織の神様が,そして糸繰川には養蚕と絹織の間の紬(まゆ玉から糸を取る作業のこと)という作業をしていた神様が住んでいたことから「糸繰川」または「糸依(いとより)川」と呼ばれるようになったといいます。また,「かっぱ」伝説によるもの,さらに糸依ともいい,いたるところで川底をみせ,何条もの糸をよったような細流が流れていることから名づけられたともいわれています。

13涸沼(ひぬま)(涸沼川)
「将門記」に「吉田郡蒜間(ひるま)の江」とあり,名称は,蒜間が転じたものといわれています。蒜間については,日中を「ひるま」ということから暖湖という意味をうけているのではないかとの説があります。

14十王川
天保13年(1842)の検地絵図に「十王」を祠った十王堂が描かれていることから,かつての友部川は十王川,架した橋は十王橋と呼ばれるようになったといわれています。
「十王」とは元インド・中国を経て仏教と共に渡来した地獄思想に描かれた冥界で亡者の罪業を裁判する10人の王(閻魔(えんま)王など)です。



春の芽生えが見える十王川(日立市)


15花園(はなぞの)川
上流域の花園山一体は,スギ・ヒノキなどの植林や広葉樹林が広く分布していますが,県天然記念物アズマシャクナゲの群生地がみられることから,花園の地名がうまれ,川の名はこの地名に由来するといわれています。

※参考,出典:「角川日本地名大辞典8茨城県」,「茨城地名のはなし」,「利根川百年史」
 
 
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