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更新日:2020年6月10日

霞ヶ浦北浦と利根川の年表1

 

西暦 霞ヶ浦北浦の水産業 法律,制度,計画 河川改修,治水、干拓、環境トピック
霞ヶ浦北浦 利根川
713 和銅6年     「常陸風土記」を撰上,霞ヶ浦を「流海(ながれうみ)」と表す。  
1338 延元3年(暦応元年)       北畠親房,舟で東条荘内(現在の東町、桜川村地域)へ
1576 天正4年       権現堂堤築造
1590 天正18年     十六島開田,慶長年間租入  
1594 文禄3年       利根川(会の川)の締め切り
1610 慶長15年 このころ霞ヶ浦でワカサギが増え始めた。網代網や大徳網も操業されていた。     このころ権現堂川利根川合流付近で治水工事
1621 元和7年       赤堀川開削(幅7間)
1624 寛永1年     潮来加藤洲開拓完成  
1626 寛永3年     潮来大洲開拓  
1629 寛永6年       絹川(現鬼怒川)付け替え完工
1630 寛永7年       子飼川(現小貝川)付け替え(竜ヶ崎南方で合流していたのを現地点に移動)完工,三堰完成
1635 寛永12年       赤堀川3間拡幅(幅10間)
1638 寛永15年     一六島開村,野原開拓進展 常陸川大浦沼付近河道改修,
1650 慶安3年 霞ヶ浦四十八津掟書(北浦には44津があった)      
1654 承応3年       赤堀川中央部の河床を幅3間掘り下げ(幅10間)通水,江戸川利根川航路舟行開始
1662 寛文2年       布川より谷原新川(新利根川)開削開始
1666 寛文6年       谷原新川(新利根川)完成,水位低く新利根舟行失敗
1670 寛文10年       新利根取水口を羽根野へ,子飼川導水
1673 寛文13年       新利根築堤完成
1698 元禄11年       このとき赤堀川の川幅27間(約50m)深さ2丈9尺(約8.7m)であった
1721 亨保6年       浅間山噴火
1724 享保9年       大矢川運河構想(以後数次),印旛沼干拓構想,飯沼干拓完工
1728 享保13年       手賀沼干拓二百余町歩開田
1742 寛保2年       下利根氾濫,新利根堤防決壊
1752 宝暦2年     横利根川開削  
1783 天明3年       浅間大噴火,降灰により以後洪水被害増大,降灰佐倉で3寸余
1785 天明5年     利根出水,土浦大洪水,(天明飢饉,印旛沼干拓構想) 利根出水,土浦大洪水,(天明飢饉,印旛沼干拓構想)
1787 天明7年     土浦湖水波除堤国役御普請願書(土浦藩)  
1809 文化6年       利根川の水量の一部を銚子へ放水することを目的に赤堀川拡幅(川幅40間)
1822 文政5年     霞ヶ浦の出口に近い箕和田(現在の本新島干拓地あたり)の水深が急に浅くなった(前年よりおよそ6,7尺浅くなり深いところで3,4尺浅いところでは1,2尺)という  
1839 天保10年       新利根取水口を豊田に(天保飢饉,印旛沼干拓構想)
1857 安政4年     利根洪水,桜川氾濫 利根洪水,桜川氾濫
1858 安政5年       備前川川浚
赤松宗旦「利根川図志」完成,巻2,利根川上中連合の段に,「赤堀川,長さ一里半ばかり,広さ60間より230間に至るとある。
1866 慶応3年     中館広之助,鰐川~鹿島灘への放水路”今切堀(掘割川)”に着手(~1871)  

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