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更新日:2020年12月21日

平成30年度県南ミドリンだより第1号:福岡堰土地改良区による伊奈神社例祭が挙行されました

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 平成30年度4月18日,福岡堰土地改良区(倉持悦典理事長)により,伊奈神社例祭が挙行されました。平成30年度4月18日,福岡堰土地改良区(倉持悦典理事長)により,伊奈神社例祭が挙行されました。

 伊奈神社は,谷原領開発の祖の伊奈半十郎忠治(ただはる)公を祭神として,福岡堰普通水利組合(現福岡堰土地改良区)が昭和16年4月18日に福岡堰のすぐそばに建立したものであり,福岡堰土地改良区では忠治公の奉祀とその年のかんがい用水・排水の安泰を祈願して,毎年忠治公が初めてかんがい用水を地区内に流したとされる4月18日に例祭を行っています。

 当日は,福岡堰土地改良区理事長ほか役員,近隣土地改良区理事長,つくばみらい市,JA茨城みなみ,下館河川事務所,県南農林事務所,県土連など約40名の出席の下,厳粛な中で執り行われました。

 

 

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昭和16年建立の伊奈神社

 

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関係者約40名が参列しました。

 

 

 福岡堰の歴史は,江戸時代初期,約390年前までさかのぼります。

 この頃は,鬼怒川と小貝川が今のつくばみらい市(旧谷和原村)寺原あたりで合流し,利根川に流れていました。このため,このあたりの土地はたびたび洪水がおきて,湿地帯になっており,作物が作れる状態ではありませんでした。そこで,当時の関東郡代だった伊奈半十郎忠治公は,鬼怒川が直接利根川に流れるよう,小貝川と鬼怒川の水の流れを分ける工事を行いました。

 この時,小貝川に新たに造られた堰は「山田沼堰」と呼ばれ,これにより谷和原三万石(現つくばみらい市),相馬二万石(現取手市)の美田地帯が形成されました。

 後に,山田沼堰に変わって,下流の福岡地内に新しい堰が造られ「福岡堰」と呼ばれるようになりました。

 忠治公は,この他にも岡堰や豊田堰を手掛けており,県南地域の水田開発の歴史において,最も重要な人物の1人です。

 

 ※詳しく知りたい方は県農地局ホームページをご覧ください。

 →「いばらきの農村発見(外部サイトへリンク)

 

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現在の福岡堰は昭和46年に改築したものです。

 

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福岡堰は平成18年には農林水産省の疎水百選に

選ばれており,桜の名所となっております。

 

 

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