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更新日:2022年10月28日
茨城県民の日について
「県民の日」は、郷土の歴史を知り、自治の意識を高め、私たちのより豊かな生活と県の躍進を願う日として、1968(昭和43)年に、県の条例により定められました。1871(明治4)年11月13日に、初めて「茨城県」という県名が用いられたことにちなみ、11月13日を「県民の日」としています。
茨城県の誕生について
1871(明治4)年7月に廃藩置県が行われ、全国に3府302県が設置されました。同じ年の11月に大規模な統廃合があり、茨城県、新治県、印旛県が生まれました。その後、新治県、印旛県との統廃合を経て、1875(明治8)年5月に、ほぼ今の茨城県の形となりました。
県民の日には県施設等の入場料無料・割引などが実施されます。
『茨城県民の歌』
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『茨城県民体操』
県民体操がある都道府県は全国でも珍しい!
「茨城県民体操」は、1949(昭和24)年に県体操協会初代会長・遠山喜一郎(ベルリン五輪日本代表)によって作成され、伴奏音楽は深海善次(1997(平成9)年没)によって作曲されました。「茨城県民体操」は3分20秒の間に13の基本動作があり、ラジオ体操より高度な天突き運動が特徴的です。
「茨城県民体操」の作成理由は当時のラジオ体操(国民保健体操)の休止がきっかけです。ラジオ体操は1928(昭和3)年からはじまっていますが、ラジオ体操は、その内容や伴奏曲は時代とともに頻繁に変わっており複雑な歴史があります。
「茨城県民体操」作曲者の深海善次は戦後の旧ラジオ体操第2を作曲していましたが、それは、わずか1年4ヶ月(1946(昭和21)年4月~1947(昭和22)年8月)で終焉してしまった“幻のラジオ体操”でした。
茨城県民なら、誰もが一度は歌ったことがある「茨城県民の歌」は、一般公募によって集まった作詞447編、作曲101編の中から選ばれたものです。「郷土の自然や、輝く歴史と伝統を讃え、躍進する茨城の理想の姿を一編の詩に託した」この歌は、1963年3月16日、茨城会館で発表されました(主催:茨城県、茨城県教育委員会)。以来、県民に広く愛され親しまれ、歌い続けられています。
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