第3章 新しい憲法と自由な”県議会”(戦後~現在)

 昭和20年(1945年)8月15日、太平洋戦争が終わりました。多くの県民は戦争中にもましてはげしくなる食料の不足と戦いながら毎日を過ごさなければなりませんでした。

 終戦直後から、全国いたるところで「民主化」への抑えられてきた思いが嵐のように巻き起こり、茨城県会でも昭和20年11月の通常県会の冒頭、民主的県会の発足の決議案を可決させています。

 しかしただちに民主的県会が発足したのではありませんでした。

 昭和22年(1947年)、新しく日本国憲法が施行され、地方自治法をはじめ多くの法律が施行される中で、新しい「茨城県議会」がこの年4月30日の選挙によって生まれました。

 新しい県議会では、政治は県民のものとの考えから、県民と議会との結びつきは強くなりました。

 戦後の県議会は、日本の社会情勢を反映しつつ茨城県の発展と県民のくらしの向上ためにさまざまなことがらを話し合い、決定してきました。

 昭和38年(1963年)の研究学園都市調査特別委員会、39年の鹿島開発調査特別委員会、54年の国際科学博対策特別委員会、60年の常陸那珂港等整備調査特別委員会・・・。

県政のプロジェクトには適時適切に対応し、また、環境や交通問題等々、身近な問題にも積極的に取り組んでまいりました。

 そしてこれからも、茨城県議会は、県民のみなさまとともに、茨城県をより住みよい県にしていきます。

戻る

始めに戻る