ホーム > 茨城県の各部局の業務案内 > 政策企画部 > 本庁 > 県北振興局 > ケンポクの記事 > 茨城県北芸術祭をきっかけに、大子町では何が起きていた?? 「大子町地域おこし協力隊」ともつねみゆきさんが暮らす「実はアートな町」(後編)
ここから本文です。
更新日:2017年2月3日
「海か、山か、芸術か?」
このフレーズを聞いたことはありませんか?そう、これはKENPOKU ART 2016茨城県北芸術祭(以下「県北芸術祭」)の開催テーマです。風光明媚な海浜部と自然豊かな山間部を有する茨城県北地域を表現するピッタリの言葉ですよね。
自然豊かな山間部である大子町もこの県北芸術祭の「山」側舞台の一つとなり、町の中に多くのアート作品が展開されました。
このホームページをご覧のみなさまの中にも「行きました!」という方も多いのではないでしょうか。
前編では、ともつねさんが地域おこし協力隊になるまでのストーリーや、大子町での暮らしをご紹介しました。
ここからは、県北芸術祭にキュレトリアルアシスタントとして携わったともつねさんの目線から、町で起きていた県北芸術祭の舞台裏についてご紹介していきます。
ともつねみゆき
茨城県小美玉市出身。茨城県大子町地域おこし協力隊。茨城大学教育学部美術科卒業後、鍛金・金工作家としてオブジェやアート作品、アクセサリー等を制作。これまで、都内や県内と各地で個展を開催。2016年に袋田の滝恋人の聖地モニュメントをデザイン・制作。同年開催された茨城県北芸術祭ではキュレトリアルアシスタントを務める。
県北芸術祭は、2016年9月17日から11月20日にかけて茨城県北地域を舞台に初めて開催された国際芸術祭です。
ともつねさんは2016年6月にキュレトリアルアシスタントに任命され県北芸術祭に携わる作家さんが視察に訪れた際のアテンド、準備期間・開催期間中のサポート等を行いました。
茨城県北芸術祭に参加した、アートハッカソンチーム「干渉する浮遊体」のメンバーと、ともつねさん
作家さんの中には海外から訪れる方もいたため、タイトなスケジュールの中で準備をしなければいけないこともありました。
私はどうしても作り手側から考えてしまうので、心配していた部分もありましたが、大子町に滞在している時にできる限りのサポートをしたい、と思って一緒に活動させてもらいました。
自分自身も作家として活動しているからこそ、見えるものもあったのではないでしょうか。
一方で、同じものを『作る側』であるが故の難しさもあったと語ります。
作り手が二人一緒にいてもうまくいかないことはあるので、やっぱりキュレーションっていうのは専門的なお仕事だなあと思いました。
私の場合、(キュレーションの)イメージとしては、マラソンのとき一緒に走ってコースこっちですよって伴走?みたいなのを常にやっていく人がいると思うんですけど、そういうイメージで仕事をしているんです。
今回の県北芸術祭の場合は、自分自身大きな芸術祭の経験値がなかったので、どうしても一緒に走っているときにこっちが不安になってしまうことがありました。そうすると作家さんの不安が大きくなったりするので、私の理想としては、一緒にやっていく人はその不安をいい方向に持って行けたり、解消できる方がいいのではないかと。あとは、その不安に持って行ってしまうエネルギーをきちんと作品に向けてもらえるようなことができる人じゃないと、ダメなんじゃないかなと思いました。
そんな葛藤を抱えながらも、とにかく作家さんが作りたい!と思うものを作れる環境をどこまで整えられるかに気持ちを向けて準備を進めました。
難しさを感じる一方で、地域おこし協力隊として町の方たちと関わってきたともつねさんだからこその強みが表れる場面もありました。
それは、大子町の人と芸術祭関係者が出会う時です。
作家さんも町の人も最終的には人なので、人と人がちゃんと出会えるかどうかというところが大切になってきます。
町の人が、全く知らない作家さんと初対面でいきなり話すのと、協力隊で何回かお会いしている私が間に入るのでは違ってくるので、そういう点ではよかったのかなと。
もともと大子町の方々はいろんなことに協力的なんですが、それにプラスして、協力隊の子達がやっているんだったら一緒にやってあげると言ってくれたり、苦労していればすかさず町の方が手を差し伸べてくれたりと、フォローしていただきました。
ともつねさんが町に住み、関係性を作り上げていたからこそ、繋がった人たちや活動もたくさんありました。
まさしく、県北芸術祭と町を繋ぐ、太くしなやかなパイプになっていたのです。
県北芸術祭が開幕すると、町の中では次々とドラマが生まれていきました。
この芸術祭がなければ大子町を訪れることがなかっただろう作家さんや作品たち。
時間の経過とともに、町の方との間に不思議な化学反応を起こしていきます。
町の方たちが、まるで自分の孫の作品を説明するように、非常に気持ちを込めてご案内してくださったり、お掃除を含め日々のメンテナンスも、本当に熱心に取り組んでくださったんです。
作品を見ていてくれる方たちも、作品について勉強してくれてだんだん詳しくなってくれたり、すごくイキイキと説明してくれたり。それがなんかすごいなあ!って。笑
大子町ってやっぱりおもてなしや心遣い、そういうものを大事にする町なんだなぁと、まさしくその良さをこの芸術祭で見れた気がします。
今回の芸術祭では、現代アートの作家さんが多く参加したこともあり、当初ご年配の方々の中には、「私たちにはわからないから」と距離を置いてしまう方もいたようです。
それでも、作品のそばに毎日立ち続けご案内をすることにより、作品に対する愛着を持っていただけるようになりました。当初、距離を置いていた年配の方々も、自ら作品について一生懸命説明してくれたり、作品のことはわからないけど町のことはわかると大子町のことを説明してくれたり、作品制作や展示をきっかけに町の中で様々な交流が生まれました。
それはかつてにぎわいを見せていた、「町内(まちうち)」と呼ばれる駅前の商店街エリアで特に顕著にみられました。
例えば、学生が商店街のお店の軒先に設置した風鈴を、「鳴るといい音なのに、風を受ける部分が少ないから、音が鳴らなくて、もったいないんだよ」と、お店の人が風を受けるように工夫してくれました
江田 朋哉 ≪Wind Bells≫ 2016
町の人に愛された作品の一つ(画像提供:大子町役場まちづくり課)
また地元でずっと美術文化を支えている「街かど美術館」では、来場された方に普段からコーヒーを無料提供していますが、「県北芸術祭期間中もそれは変わらないのよ」と、一日に300杯ほどになっても淹れ続けてくれていました。
日を追うごとに、まるで町の人たちが演出家のようになっていったのです。
芸術祭が終わった後に商店街の方たちとお話をした時に、
「すごく町がにぎわっていて、昔の景気が良かったころの大子町を見たような気がしてとても嬉しかった。」
と言ってくださったんです。
アートに関しては、もしかしたら最後までわからなかったかもしれないし、わからないなあと思いながらやってくださったのかもしれないんですが、そういう形でアートが好きな方と、町を大事に守っている人が出会えたのがよかったなぁと思っています。
このアートと町の化学反応の連鎖は作品と人の間だけでなく、人と人の間でも起きていました。
2015年の芸術祭プレ企画(藝大子プロジェクト)の時に大子町を訪れた作家さんに、「おかえり。」と町の人たちが声をかけていたり、展示場所の人たちと作品を作った東京藝術大学の学生たちがすごく仲良くやり取りしてくれたり、芸術祭をきっかけに、出会わなかったかもしれない人たちの間に絆のようなものが生まれていました。
そういう人たちに支えられていた芸術祭だったと思います。
共同制作なんじゃないかってくらい、細やかに配慮してくださって、本当に皆さんの愛情すごいなと思いました。
こうした動きも、芸術祭だから生まれたものではなく、もともと大子の人たちはそういう人なんだろうと感じたと、ともつねさんは続けます。
ちょっとした質問をするとすごく丁寧に教えてくれたり、案内するよ!とそこまで送ってくれたりとか。笑
普段から大子町の方が持っている部分なんですが、そういうところが芸術祭期間中、前面にでていたなあと思いました。
県北芸術祭ではサポーターの募集を,商店街の方や地元の団体の方を中心にお願いしたことが、今回良い結果を招いたのかもしれません。
他にも、地域に作品を展示するという試みに関しても意味があったと続けます。
この会場じゃなかったらこうならなかっただろうってことがあると思います。
例えば、旧上岡小学校で展示をされた田中信太郎さんの作品に関して、美術館の壁で囲まれた中での展示と、今回の場所での展示とでは、作品に窓から見える景色が映っていたりして、また全然違うものになっているように感じました。
他の芸術祭でもそうですけど、美術館から作品が出て違う場所で展示されているっていうのは、町全体で作品も飲み込みながらやれてないとやった意味がないと思うので、それについては県北芸術祭はやれていたんじゃないかなと思います。
田中信太郎《沈黙の教会、あるいは沈黙の境界》2016(画像提供:木奥恵三)
どうなるのか、日々ドキドキしていたと言うともつねさん。
県北芸術祭を終えてみて、本当に町の方に支えられたと何度も繰り返します。
もちろん、この芸術祭が人を運んできたり、アートが町の中に入ってくることで日常となっていた景色が一変するなど、芸術祭が町に与えた影響は大きかったと思います。
しかし逆に、時間がたつにつれて表れた、地域の方たちのおもてなしなども県北芸術祭に大きな影響を与えていたように思えます。
まさしく地域と県北芸術祭、お互いが影響を与え合ったのかもしれませんね。
県北芸術祭をきっかけに、また違う大子町の一面がみられました。
みなさんはこの記事を読んで、どんな大子町を想像しましたか?
真横には山があるような、自然をすぐそばに感じられる環境。
そうした町でともつねさんは今日も、アートと地域の関係づくりを模索しながらのびのびと金鎚を手に制作を続けます。
今でも残る懐かしい町並みや、ダイナミックに広がる自然。そして、町に対する想いをしっかり持った人たち。こうした様々な要素でカタチ造られている「大子町」。
ぜひ次のお休みに、大子町の暮らしを覗きに行ってみませんか?
このページに関するお問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください