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更新日:2018年3月16日
今回から4回にわたり、「生活芸術家」石渡のりおさんの連載を配信することになりました。 石渡さんは現地にある暮らしの素材をコラージュして作品をつくるアーティストです。パートナーであるチフミさんとともに世界中を旅しながら作品を発表。この数年は国内複数箇所の空き家に住みつつ、移動しながらユニークな手法で制作をつづけています。 また、2017年4月から北茨城市の地域おこし協力隊として、旧富士ヶ丘小学校に設置されたシェアオフィス(外部サイトへリンク)を拠点に活動中です。現在(3/16日時点)開催中の「桃源郷芸術祭」にも参加され、自身の手で改修した築80年の古民家をギャラリーにしたてた「ARIGATEE」で作品を発表されています。 |
いまから3年ほど前。愛知県津島市の長屋を改修しながら暮らしていたときのことです。古い家が好きで、地域の空き家を調べ歩いているうちに、ダンス教室を開くための空きスペースを探していたサトシくんと知り合いました。
サトシくんは、改修の様子を眺めながらこう言いました。
「うちの爺さんの道具を使いませんか。家にあっても誰も触らないから」
後日、持ってきてくれたのはこれらの道具たちでした。
これは「鑿(のみ)」、木材に穴を穿つための道具です。サトシくんのお爺さんは、建具職人でした。ぼくは偶然にも、職人さんの道具を譲り受けたのです。サトシくんのお爺さんが使い熟してきたこの道具の価値を理解できたのは、それから数年後のことでした。
ぼくが古い家に注目した理由は、家賃の出費を抑えて自由になる時間を手に入れるためです。働かなければならない時間が減れば、好きなことに没頭できる時間を増やせます。
もうひとつは、家の改修を通じて木工の技術を習得するためです。スペインでアイルランドの伝統ボートをつくるアーティストに出会い、海と遊んで以来、その舟をつくることが目標になったのです。
津島市の空き家の家主さんは、ぼくが未経験にも関わらず、空き家の改修をやらせてくれました。古い家に暮らしてみてわかったことは、木造の家屋は、切ったり継いだりすることでカスタムできることでした。いろいろ試しているうちに、その材料になる木材がどこからやって来たのか知りたくなりました。この家が建てられた当時、どうやって建てていたのか。今のようにトラックや重機もなければ電動工具もありません。そもそも、80年前の人々はどんな暮らしをしていたのか。
自分が知らないことを知るためには、知っている人のところへ行けばいい。観光地でもない、知られた場所である必要もない、ただ日々を重ねてきた場所。町の暮らし、海の暮らし、山の暮らし、きっとそういうところにこそ、かつての暮らしの痕跡が、今もひっそりと息づいているはず。そういう想いがきっかけで、空き家から空き家へ旅することになったのです。
気がつけば、100年前の日本人の暮らしを追い求めて、妻のチフミと2人で漂泊生活をしていました。
旅を通じて、日本の山林の多くが植林されていることを知りました。岐阜県の中津川市では、森と人間の暮らしを調査するために、里山の古民家に4カ月ほど暮らしました。そこには、森も山からの湧き水も畑も田んぼもありました。家を継いだ家主さんは、雑草を刈ったり森の木を伐採したり、田んぼも畑もやって、その環境を維持していました。里山には、生きるために必要なモノを生産する環境が整っていました。
現代の冬は、機密性の高い住宅に暖房設備が整っていて、街で暮らしていても、寒さのほかに冬を感じる機会はほとんどありません。だから、ぼくは、かつての冬を体験したくて、この古民家に滞在させてもらったのです。スイッチを押せば暖かくなる便利さはなくても、火鉢、豆炭炬燵、薪風呂がありました。しもやけになりながら、木を伐採し、薪を割る。ここの暮らしには、火がありました。そんな冬の暮らしを楽しんでいると、知人が「茨城県の北茨城市で芸術家を募集しているよ」と教えてくれました。
そして、2017年の春から「芸術によるまちづくり」をするため、北茨城市で地域おこし協力隊として活動することになったのです。
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