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更新日:2018年3月18日
生活芸術家・石渡のりおさんの連載「生きるための道具」第2回です。
石渡さんは現地にある暮らしの素材をコラージュして作品をつくるアーティストです。パートナーであるチフミさんとともに世界中を旅しながら作品を発表。この数年は国内複数箇所の空き家に住みつつ、移動しながらユニークな手法で制作をつづけています。 また、2017年4月から北茨城市の地域おこし協力隊として、旧富士ヶ丘小学校に設置されたシェアオフィス(外部サイトへリンク)を拠点に活動中です。現在(3/18日時点)開催中の「桃源郷芸術祭」にも参加され、自身の手で改修した築80年の古民家をギャラリーにしたてた「ARIGATEE」で作品を発表されています。 |
ぼくがつくるモノは、コラージュ作品です。はじめは雑誌を切り貼りしていたのですが、異なる素材を組み合わせて現れる偶然のカタチを追求するうちに、出会った人や文化、歴史、環境を題材に作品をつくるようになりました。
古い木材を鉋(かんな)で削って再利用する
古いモノに光を。新しく色を添える。
空き家を改修するのも作品のひとつです。アートの語源はアルスで、技術という意味です。ぼくは、この根源的な意味がとても大切だと思っています。つまり、アートとは生きるための技術だということもできるのです。(これまでの活動を「生きるための芸術」として出版していますので、ぜひ読んでみてください)自分たちのすべての活動を総称して「生活芸術家」という職業にして夫婦で生きています。
北茨城の古民家
まさに「好きこそものの上手なれ」です。「好き」という想いは伝わるもので、北茨城市では、江戸末期の古民家に巡り合うことができました。2017年の10月から片づけや掃除、廃材を集めたり、改修して、ギャラリー兼アトリエArigatee をつくりました。(3月14日~18日に開催される桃源郷芸術祭に出展します)。
この家を改修している作業の途中、サトシくんのお爺さんから譲り受けた鑿が、いよいよ切れなくなってきたのです。それまでのぼくは、壊れたら捨てて、新しいモノを買っていました。しかし、職人さんの道具は売っていないのです。その素晴らしい道具は、手入れをして「自分でつくる」モノだと気づかされたのです。
あるイベントで布を切るのを手伝ってもらったときのことでした。
「これはいいハサミだね。研いだ方がいい。」
初老の男性にそう声をかけられました。
翌日、砥石を持って来て、ハサミを手入れしてくれたのです。ハサミの刃を研ぎながら、その人は言いました。
「ぼくの前職は、服飾メーカーの生地工場で働いていたから、ハサミは毎日使っていたんだ。商売道具だから切れなきゃ仕事にならない。だから毎日仕事の最後にはハサミを研いだ。翌日すぐにはじめられるようにね。子供に刃物を触らせないほうがいいって言うけど、刃物が危ないからじゃない。落としたり、触ったりして刃が悪くなるからだよ。いつの間にか意味が変わってしまったんだ」
ぼくは、その話を聞いてさっそく、切れなくなった鑿の刃を研ぐことにしました。よく観察してみると、短くなったエンピツのような鑿もありました。むかしなら、職人さんに弟子入りして技を盗むように学んだのでしょうが、いまは、インターネットで検索すれば、やり方はみつかります。あとは、やってみるだけです。
このことをきっかけに「道具」について、考えるようになったのです。人類は、自然を利用して道具をつくり、使いこなし、さらに発展させ、文明を形作ってきたのです。人間とモノ。わたしたちの暮らしを取り囲むように、さまざまなモノがあります。古いモノほどつくりはシンプルに、火、土、水、風、木、自然の摂理を利用してつくられています。
人間は生命活動を補助するためにモノを利用してきたのに、モノを大量生産するために、いつのまにか、人間の方が、経済効率を上げるための道具になってしまったのです。
これから、どのようなライフスタイルが、わたしたちの未来や環境にベストマッチするのでしょうか。それを考えて行動するのが、生活芸術の役割だと思っています。
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