ホーム > 茨城県の各部局の業務案内 > 政策企画部 > 本庁 > 県北振興局 > ケンポクの記事 > 「生活のなかのひとつひとつのアイディアが作品づくりの要素になる」北茨城地域おこし協力隊・アーティスト「檻之汰鷲」石渡のりおさん&ちふみさん【前編】/連載・夫婦でつくるケンポク暮らし #01
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更新日:2018年11月26日
どこの場所に住もうが、ひとり暮らしは借りぐらしといっていい。それはもっといえば旅の途中のようなものだ。どこにでも住む自由があるということは、いま住んでいる場所に住み続ける必然性もないということでもある。だからこそ、大切なひとと出会った場所や、大切なひとと見つけた場所には意味があると思う。夫婦としてその場所で生きていくとき、そこはもうひとつの故郷になる。連載「夫婦でつくるケンポク暮らし」は、茨城県北に住む、アートやものづくりなどクリエイティブにかかわる夫婦の話を聞きに行くインタビュー集だ。彼らは作品をつくりながら、同時にこの場所で夫婦の暮らしの物語を紡いでいる。一緒にいるパートナーがどんなひとか、この場所がどんな場所なのか、ということは、できあがる作品にどのように関係しているのだろうか。数回の連載を通して探っていきたい。(編集部) |
茨城県最北端、北茨城市。少し足を伸ばせば福島県。県境に位置する平潟港は県内随一のあんこうの水揚げを誇る。あんこう鍋は冬の味覚として親しまれ、人々の体を温め肌を潤してきた。花園川に沿って3キロ程続く花園渓谷は、春には桜、秋には紅葉を拝む人で賑わう。海と山に囲まれた北茨城市は、かつては岡倉天心が美術院を設け、横山大観が画を残し、野口雨情が唄を詠んだ地である。数々の芸術家を魅了してきたこの地が、時を経て再び「芸術のまち」として動き出している。
2017年4月、北茨城市に移住されたご夫婦がいる。石渡のりおさん・ちふみさんご夫婦だ(以下、石渡さん夫婦)。石渡さん夫婦は、「檻之汰鷲」という夫婦ユニットとして活動されている。
檻之汰鷲(おりのたわし) |
北茨城市の山間、楊枝方地区にある「ARIGATEE」(赤い屋根の家)
北茨城の地域おこし協力隊として働くアーティスト、「檻之汰鷲」の石渡のりおさんとちふみさん。ふたりが交際を始めたのは2001年。その矢先に起こった、のりおさんの交通事故が「檻之汰鷲」の活動の原点にある。それまで、フリーランスで全国各地で開催される音楽イベントの仕事をしていたのりおさんは、仕事で熊本に向かう道中に事故に遭ってしまった。医師からは手術の経過次第で全身に麻痺が残るかもしれないと告げられたが、ちふみさんの献身的な支えが実を結び、手術は無事成功。その後、入院生活は3カ月続き、退院後も半年以上は仕事に復帰できなかった。
のりおさん 「手術してしばらくは重いものも持てないし、コルセットして松葉杖ついて歩いてて。その間に絵描いたり、文章書いたりしていました。麻痺して身体が動かなくなっても文章を書いたり、絵を描くことはできる。それから始まった感じ。27歳ぐらいかな。それまではかなり漠然と生きていました。それで次の年に結婚したんだよね」
仕事に復帰してからも、のりおさんは東京に居を構えながら、ほとんど家に居ない生活を送っていた。東京で会社勤めをしていたちふみさんは、会えない時間を埋めるように、のりおさんの絵を手伝うようになった。ある時、出会ったひとの言葉がきっかけで「絵を描くこと」がふたりにとって特別な意味を持つようになる。
ちふみさん「イベントって、夜とかが多いでしょ? あたしは朝9時から仕事行って17時に終わって、のりおくんが帰って来る時にはもう寝てしまってて。のりおくんは出勤が遅くて12時とかお昼頃に出て行くから、あたしが起きて会社に行く時はまだ寝てるのね。だから、結婚したけど1ヶ月に合計で10時間ぐらいしか顔を合わせていなかったんです。別にそれでも良かったんだけど、何かこの人とコミュニケーションを取ることができないかなって思って。でも、趣味が全然違う。のりおくんは音楽をすごい好きだけど、あたしは音楽を聴かない。とくにそれまでは共通の話題がなかったんだけど、絵を描くことでのりおくんとコミュニケーションが取れるんだったら一緒にやろうかなって思って、一緒にやることに。あんまり芸術とかアートとかわからないんだけどね」
のりおさん「あるフェスに行った時に、おじさんと喋ってたら『あんたらいい夫婦だね。夫婦長続きの秘訣教えてあげるよ。夫婦で共通の趣味を持つと、夫婦は長続きするよ』って教えてくれて。なるほど、夫婦で一緒のことやればいいんだって思って。それまであんまり共通の趣味ってなかったんです。それで、じゃあ絵描くの手伝ってくれるし、一緒にやるってことにしたら良いかなって思って、『一緒にやる?』って誘ったら『うん、やるやる!』ってそれで一緒にやることになったんだよね」
彼らは地元の暮らしに溶け込みながら制作している
石渡さんご夫婦が描く絵は、ほとんどが実際に体験したことや見たもの。どちらか一方が体験したこと、見たものだと、ふたりの作品ではなくなってしまう。ふたりで絵を描くために、日々ふたりで生活をアレンジしている。
のりおさん「一緒に旅に行って、おなじものを見てきたからこそ一緒に作品をつくることができる。もし僕ひとりで旅に行ってたら一緒に作品づくりはできない。だって旅から帰ってきて、勝手に価値観変わって『ちふ、会社なんか辞めたほうがいいよ』って言ったら凄い冷めた目で見られちゃうよね(笑)。
ふたりでやるっていうのは僕たちにとってすごくいいことなんだなって思います。絵を描くときも『あの景色すごい良かったからあの絵を描こう』って言っても、僕だけしか見てなかったら伝えようがない。やっぱり写真でみる色と実際見る色って違うから、その時一緒にいないと、『あの色だよ』ってコミュニケーションができない。やってること全部が絵に繋がるから、畑をやろうっていうのも食べものについて自分たちが考えるきっかけになるし、畑をやることがまた作品にも反映する。こういう風にしたら、こういう生活にしたら、とか、生活のなかのひとつひとつのアイディアが作品づくりの要素になることはあるかもしれないね」
ちふみさん「“ふたりの冒険”みたいにして、全然知らない田舎に住んだり、色んな空き家を転々としたり、自然に触れて、畑で農業してみたりするのも、作品づくりの養分のようなもの。そうやって、自分たちがいいと思える作品をただつくりたいんです」
のりおさん「見たこととか体験したことを絵に描くことが多いから、知らず知らずのうちに自分たちでそういう環境に身を置くようになってるのかもしれないよね。一日中ストレス感じていたら、できあがる絵にもストレスが表現されるだろうし、一日気持ち良く過ごしてたら、気持ちいい絵ができるだろうし。とは思うんですけどね」
ちふみさん「でも、ずっと一緒だから時々は別行動したいなって思う?(笑)」
のりおさん「ここで聞く?(笑) 別行動したいとか思わないけど、必然的に別行動になる時があるから、それぐらいでいいんじゃないって思うよね」
今では夫婦の間で交わされる会話のほとんどがアートの話で、向かうところがひとつであるから、ぶつかり合うこともない、という。思いついたときに、思い出したときにすぐ伝えられるのは、ふたりが同じ時間を過ごしているからだろう。
のりおさん「こういうの作りたいとか、常にふたりで話してます。結構ああいうの作りたいこういうの作りたいって話はいっぱい出るけど、実際やるのはそのうちの二割ぐらいかもしれない」
ちふみさん「そうだね。言ったことでも忘れちゃうやつもあるもんね。何か言ったけど、何言ったかなあたし?って(笑)。思い出した時に『そういえばあれやりたかった』って言ったりする」
のりおさん「ふたりでやってていいところは、一日中作品作りの話ができること。ふたりで楽しくやってるから、ちょっと今その話やめてってまったくならない。朝起きてすぐ言えるし、寝る前にも、昼飯食ってても、ふと思い付いたときにこれやろうよって。作品をつくる環境としてはすごい幸せですよね」
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後編「彼についていったら何か楽しいことあるかな、っていうのはあるかもしれない」/連載・夫婦でつくるケンポク暮らし #02」につづきます。
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