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更新日:2019年3月28日

ここに在る、仕事|吉成木材〈前編〉

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ここに在る、仕事 

ここに在る、仕事 / プロローグ

人の営みのなかでも、特に仕事というものは、その時代や社会と直接的、具体的に関係している。つまりは、ある仕事について知ることは、その仕事を取り巻くさまざまを知ることと言えるだろう。しかし、ここで注意しなくてはならないのは、なるべくそれを具体的に知ろうとすることだ。一本の木に例えてみれば、ただなんとなく見るだけでは、どれもこれも同じ木のように見えてしまう。しかし、葉や枝や幹の特徴を具体的に見れば、どれ一つとして同じ木はない。そうすることで初めて、その場の環境や木が担っているものが分かってくる。そうした事を念頭に置きながら、茨城県北の各地域に在る仕事、仕事の担い手の方に話を聞き、書き記すことをしてみたいと思う。また、一本の木の葉や枝や幹を具体的に見ようとするからこそ、土の下に隠れている根を想像することができる。それが、木の全体なのだ。全体を感得するセンスこそが、今、地域に関わるクリエイターに問われていることではないだろうか。

大子町に吉成木材という会社がある。その名の通り、木材を取り扱っている会社だ。山から木を切り出し、用途に応じて加工し、納品先に運搬する。基本的には住宅用などの特殊な加工等はしない。たとえば、木杭(ぼっくい)などがあり、珍しいものでは、鯉のぼりの竿(さお)などがある。

以前、千葉の片田舎に住んでいた時に林業に従事したことがある僕は、吉成木材のことが長らく気になっていた。町面積の約8割が森林という大子町において、森や木に関わる仕事は実際どうなのか、それを知りたくて、昨年末、吉成木材に向かった。

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はじまりは運送業

大子町の中心街から車で西に十五分ほど行った先、相川という地区に吉成木材はある。社長である吉成さんはここで生まれ育ち、先代であるお父さんもここで生まれ育った。会社のはじまりを吉成社長に聞いた。

「先代である親父はもともと、木材の仕事をしていたわけではなくて、運送業をやってたの、仲間と共同経営で。当時、大子町には製材所が多かったから、製材所から関東にある木材市場まで木材を運送する仕事。それで、そのうちに、建築現場の足場や電柱にナガラ材(小径の木材)の需要があるということを聞いてきて、できるなら納めてくれないかと頼まれるようになって、最初はトラックの荷物が少ないときに、その荷物の上に積むような形で運んでたみたいだね。そのうちに、足場丸太の需要が増えて、運送業は仲間に任せて、うちは“ナガラ屋”ということになった。その頃はフォーク(リフト)もないから、手で積んだんだよ。ギッタンバッタンって言ってね、トラックの荷台にアングルみたいなのを溶接して手積みできるようにして、五メートル四十センチから七メートル二十センチのものまで、百本ずつくらいを小さいトラックに積んで運んだんだよね。山の中で乾かした材料が多かったから、軽いといえば軽いけど、大変だよ」

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▼なぜ、吉成木材を取材したか。それは、吉成社長の人柄に惹かれたことが実は大きい

木材会社と聞けば、住宅用などの建築資材を想像してしまうが、吉成木材では、それ以外で使われる木材を主に取り扱っている。

「うちは、製材所とまでは言えないね。まぁ便利屋といえば便利屋なんだけど、会社を設立するときに、社名を考えるのに、吉成材木店とか吉成製材所とか、いろいろ考えたんだけど、店というとお店という感じになって違うしね、それで吉成木材ってことにしたんだよ。何屋さんですか?て言われると、木材屋という他ないけど、特殊ちゃぁ特殊だよね。原木でも販売もしているし、もちろん加工や、磨き丸太なんかもやるからね。なんでも対応してくれるのは吉成だって、お客さんに思ってもらっているところはあるかもしれない」

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土場と言われる敷地内には、皮が付いたままの丸太や大小に加工された木材が、そこかしこに積まれている。木材を加工するための機械音が鳴り響き、それぞれの持ち場にいる従業員さんが慣れた手つきでそれらを操る。フォークリフトが木材と機械の間を縫うように行き交い、丸太を積んだ大きなトラックがやって来ては下ろし、また積みに出掛けていく。こうした現在の仕事場の様子は、ここ二十年ほどで大きく変わったと吉成社長は言う。

「俺がこの商売を継いで、今年で三十二年目かな。最初の十年は、トラックに乗って配達をやってて。そのころって、丸棒をつくるような機械とかも何もなかった。近所のおばさんやおじさんが、みんなパートで皮むきをしてくれて、フォークリフトも一台しかなかった。扱っていた木材も、ナガラ材だけだったんだよね。それをトラックに積んで、俺が東京や千葉、神奈川まで行って配達をしてたの。静岡のお城の改築工事とかで、何千本かを納品したこともあったなぁ。とにかくそんな感じだから、機械とかも使わないので、電気代もかからなかった。だから、あの頃は儲かったんだよねぇ。それが、だんだん世の中が変わってきて、足場丸太で怪我すると労災が下りないっていうので、それが単管パイプになって、それからだよね、設備投資をし始めて、仕事も手間がかかるようになって、儲からなくなったのは。そのあたりで、公園などで使う木の杭なんかを作るようになって、二十何年前かに、材を丸くする機械を入れたの」

足場丸太が危険であることを理由に建築現場で不要になり、単管パイプに変わる。今まで木材が担ってきた役割を、より安全でより管理が容易な鉄やコンクリートに変わっていく。そして、木材の活用場面は限られ、機械によって工業化されたものが求められる時代になっていく。

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▼木材がローラーに挟まれるようにして流れ、丸くなっていく

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▼杭の先端を尖らす作業を、吉成社長に見せてもらう

苦しいときの設備投資

はじまりは、人力作業。人の手で加工し、人の手で積んだ。だから、機械は一つもなかった。だが、それでは仕事ができない時代になり、必要に応じて機械を導入していかなければならない。

「ある時、地盤改良に使う丸太杭を六メートル直材で納めてくれないか?という話があったのね。うちには四メートルまで曳ける機械は既にあったんだけど、六メートルとなると、新たに製材の機械を入れなくてはならない。その時は会社の状態も苦しかったんだけど、やむを得ず、製材の機械を入れたの。設置するための工事とかも含めたら一千万くらいかかったんじゃないかな。それでも、相場よりは安いんだよ。その頃、製材所もやめるところが多くて、たまたま中古で良いのが手に入ったわけ。けど、その仕事が結局決まらなかったの。どうしたもんかなと思ってたんだけど、そうしたら当時、山から切った木を原木で納品していた別の大きな取引先から、製材して納品できるなら助かるという話があって、それで活かされたんだよね。今考えてみたら、その時に無理にでも設備投資をしてなければ、いまこうしてやっていられなかったかもしれない」

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▼プラス二メートルの木材を加工するために、導入された製材機

「製材の機械を導入しても、最初は誰も経験がない。でも、素人ながら、歩留まり(不良や余剰をなくす)をどれだけあげるかっていうのを、みんなで考えて。こうやって曳いたら木はこう曲がるとか、いろいろと無駄をしながらも覚えていったんだよね。そうして、今は頼まれたものを百パーセント納品できるようになったんだよね。良いものをより安くという考えでね。うちは、林業も自社でやってるから、五メートル以上の杭材というのもできるんだよ。それは、よそじゃできないんだよね。綺麗に皮を剥いて、節があるところをサンダーで研磨してね。それも全部手仕事だからね」

産業構造の変化に左右される業態でありながらも、大きな企業の傘下に入っているわけでもなく、ゼロから仕事を生み出し、賭け、工夫し、積み上げてきた会社。それが、吉成木材なのだ。

見えない手間

「うちでは、十五メートルくらいの鯉のぼりの竿木を納めたりしているんだよね。山にすらーと伸びている木をあらかじめ見つけておかないといけない。しかも、作業道がつくりやすくて、材が出しやすいところとか、場所も大切なんだよね。だいたいね、一間を六千円で見ているのね。それを八間だから、四万八千円、それに皮剥きを一万円でやるから、五万八千円、で半端だから六万円ということで言ってるのね、そうするとお客さんは高いって言うんだわ。でも、高いっていうなら、うちに来て木を切って、それを出して、皮むいて、納品先まで運んでごらんって、どれだけかかるか。一本単価は確かに高くなるんだけど、それだけ手間がかかっているんだよね。まぁ、分からなくて当然なんだけどさ、それだけの工程があるんだよね。木を切るときなんかに、懸木なんかになっちゃったら、それだけで時間もかかっちゃうしね」

十五メートルの竿木が六万円というのが、高いのか安いのか正直分からない。だが、少なくとも、実態のある価格設定なのだと思う。しかし、ピークの時は、年に百本から二百本の注文があった竿木も、現在は十分の一ほどの売り上げになっているという。そもそも、家に大きな鯉のぼりを立てるほどの敷地がないのが要因のようだ。

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とにかく今は時代の流れが早いからね、と言う吉成社長は、会社のこれからのことを楽観的には考えていない。二十数年前に機械設備を導入し始めた頃が最初の転換期であったとするならば、今また、次の転換期が来ているのかもしれない。

「今はね、ほぼほぼ投資的なことも含めて、いくとこまでいったかなぁという感じなんだよね。さらに設備投資をしたら、その製品の売り先とか、原材料も余計に集めなきゃならないし、それをやるならば現状維持の方が、良いかなぁという感じなんだよね。同業者とかもね、景気わるい話ばっかりで、やめるとかの話でね。なかなか、商売的な旨味がないんだよね。そうは言っても働いている人、パートさん含めて十五人分を養っていかないといけないという責任があるけどね。だから、難しい時代だよ」

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前編はここまで。吉成社長みずから土場の隅々までご案内してくださりながら、吉成木材の仕事のこれまで、いま、これからについてお聞きした。話の中で、便利屋ということを言われていたが、扱っている木材の形状や用途の多様さに聞けば聞くほど驚いたし、それは、足場丸太から始まり、ひとつひとつの要望に対して、誠実に応えてきた現時点なのだろうと思う。また、年末というのもあってか、取材途中、関連資材を取り扱う会社の営業さんが、入れ替わり訪れてきていた。その対応から、吉成社長は人と商売をしていることが分かる。まぁお茶でも飲んで、と先方の会社の状況を聞き、こちらの会社の状況を伝え、笑い話も交え、会社同士という立場を守りながらも、気づけば人と人の会話になっている。だから、お客さんである『誰々さん』の要望に応え続け、ここまで多様な木材加工ができる独自の会社になったのだと思う。

後編は、吉成木材の山の現場とそれにまつわるお話です。

  

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映像作家 / プロジェクトディレクター

1985年生まれ、神奈川県在住。大学卒業後、広告営業や雑誌の立ち上げを経験。その後、千葉県九十九里に移住し、大工や林業の仕事をしながら映像制作業を独学で始める。近年は、映像人類・民俗学、思想や文化、古今東西の手仕業などの関心領域から、日常性の中に在る記憶や物語、関係をテーマにした映像をつくる。また、企業や自治体の情報資産の制作や記録を担う。茨城県北クリエイティブプロジェクトでは、2017年4月よりウェブサイトの情報制作ディレクターを務めている。

 

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