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更新日:2019年10月17日

#03 鯨の背中に乗るまちには、スローな時間が流れている?(前編)|連載:クリエイティブのフィールドワーク

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クリエイティブのフィールドワーク

関東の最北端。茨城県の北部地域6市町を舞台にした連載『クリエイティブのフィールドワーク』。フィールドワークとは、文字通りフィールドつまりは現地に入り、各々が “ある視点” に基づいて、物事の仔細を見聞き体験し、机上だけでは決して分からない、“視点”と“対象”を結ぶ地脈を全体的に理解しようとする行為。今回の連載では、映像作家である筆者が、いちクリエイターとしての視点から、何に興味が湧き、何に可能性を感じ、何に学びを得たのかを書き残し、茨城県北地域にクリエイティブの火種を見つけていく。

「仕事にはスピード感が大事だ」社会人になったとき、誰しもが上司や先輩に言い聞かされることだろう。そう、早い仕事は好まれる。自分としても、早く仕事を片付ければ気分も良いが、遅くなってしまうと必要以上に罪悪感を感じてしまい、言い訳すらも浮かんでくる。もちろん仕事だけでなく、生活ひいては人生においても、どこからともなく「急げ」「人生はあっという間だぞ」という声が聞こえてくる。スピード(またはパワー)でもって余剰や利益を生みだそうという発想は、現代を生きる私たちの思考の鍋底にこびりついている。しかし昨年、ドキュメンタリー映像を撮影するために、インドの出版社『タラブックス』の印刷工房を訪れた際、その対極にあるような価値観に出合った。世界中にファンのいるタラブックスの本作りは、急がない。著者や編集者、デザイナーが十分に対話を重ねることで知られている。また、職人の手によって一色ずつシルクスクリーンで刷られるハンドメイドブックは、たとえ多くの受注を抱えていたとしても、急がずに作られる。そうして作られた本はどれも質が高く、一冊に綴じられた絵や文章は、まるで命を宿しているかのような雰囲気がある。急がないこと、つまりは “遅さ” によって新たな価値が生まれているのだ。

文化人類学者であり環境運動家の辻信一氏が書いた『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社)という本がある。有名な本なので、読んだことがある人もいるかもしれない。そこにはこう書いてある。

それまでのぼくたちの慎ましやかな経済は、生業は、生活の技術は、伝統的な知恵は、食生活は、人と自然とのつながりは、人と人との結びつきは、愛は、美意識は、身体性は、あまりにもスローなものとして否定され、卑下されて、いわばそれらの残骸の上に「豊かな社会」という名の怪物は栄えました。

ここで辻氏が言う「あまりにもスローなもの」として否定された物事に想いを巡らすと、まさに茨城県北のような地域で、僕たちクリエイターが嗅覚を駆使し、残骸の中から見つけ出すべき対象のことだと気づかされる。僕の取材に付き合い、今回の記事で撮影を担当してくれた常陸太田市在住のフォトグラファー山野井咲里さんが、取材中にぼそりと言ったことを覚えている。「伝統って大事だと思うんですけど、なんで大事なのかなって、すごく考えてしまって...」この地に住みながら活動をする彼女にとって、おそらく重要な問いであるように感じた。それを聞いた僕も、考え込んでしまった。しかし、辻氏の言葉を逆説的に理解すれば、「スローである」ことが否定されずに、むしろ好まれたり寛容さをもって迎え入れられるのであれば、山野井さんの言う伝統が大事な理由が、理屈を超えて浮かびあがってくるのかもしれない。伝統を守り引き継いでいく精神が、健全な形で存在していた時、仕事や生活の速度はきっと、今のようなめまぐるしいほどの速さではなかったはずだ。そんなことを考えながら、今回、フィールドワークの場所として、常陸太田市の鯨ヶ丘商店街を訪れた。遠くから見ると鯨の背中のように見えることから、鯨ヶ丘と名付けられたこの場所には、「スロータウン」という形容詞が付けられている。果たして、「スロータウン」で何を見聞きすることができるのだろうか。

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(写真:山野井咲里)

鯨の背中に乗る、今と昔

鯨ヶ丘商店街は、茨城県内でいちばん大きな面積を持つ常陸太田市の、中心商店街として賑わってきた場所だ。小高い丘の上に、土蔵や町屋づくりの古い建物が、約600メートルの商店街エリアに立ち並び、訪れる人を、懐かしい時代にいざなう。おそらく実際に目で見て、歩いて歴史を感じられる場所としては、茨城県北内で随一ではないだろうか。断片的ではあるが、以前にこの街をスナップ撮影して歩いたことがあるので、その時の写真をいくつか載せたい。

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(写真:山根晋)

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(写真:山根晋)

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(写真:山根晋)

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(写真:山根晋)

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(写真:山根晋)

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(写真:山根晋)

ここを歩いて感じるのは、歴史的な権威というよりも生活であり、風情というよりも人情が漂うような、商業地ならではの雰囲気だ。つまりそれは、ノスタルジーということになるのだろうか。しかしそれは、表象をかすめ取っただけの見方なのかもしれないとも思う。実際に、この鯨ヶ丘商店街の人々は、そんな抽象的な概念の中で生きているとは思えない。なぜなら、おそらく昔は賑わっていたであろう通りには人影は少なく、懐かしさと同時に寂しさもどことなく感じるからだ。

「スロータウン」に込められたもの

そんな、鯨ヶ丘商店街の商店会の会長を務める、渡辺彰さんのお店「喜久屋」にまずお邪魔して、話を聞く。「喜久屋」は糀と味噌の専門店でありながら、市内で活動する工芸作家などの作品も販売している。そして、店主の渡辺さんは商売の傍ら、社会学を在野研究している。理知的な視野と、自らが経験されてきた実感をもとに、インタビューに応えてくださった。

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(写真:山野井咲里)

− 鯨ヶ丘商店街は面白い場所ですね。こんな場所は、県北に他にないですよね。小高い丘の上にあることで、開発から逃れたということもあるかと思いますが、昔ながらの雰囲気があります。ただ当然、時代の変化の波は被っているわけで、そのあたりをどう考えていらっしゃるのか、お聞きしたいです。

(渡辺さん)「ここは昔、水戸や日立に劣らないくらいの商業地だったんですね。今のような商店街になってきたのは、戦後ですよね。それが昭和40年代になってくると、本当の商業の勝負になるわけです、人々が自由に移動ができるようになって。それでも古い商店はそのままで、当然右肩下がりになって、そこに企業が入ってくるんですね。社会の変化ですよね。そして、新しいバイパスが(丘の)下にできて、そちらに企業が移動するんです。新しい流れに乗るかそるか、うちの商店街ではずっと議論があったんですね。その結果、一周遅れの先頭ではないけど、少し我慢しても、何が商店街としてあるべきなのかを考えようと平成4年あたりから本格的に議論し始めたんですね。平成6年に、人とのネットワークを大切にした商店街にしようとなって、それが平成20年頃に見えてきたなというのがあるんですね」

− それが見えてきたというのは何か理由があるんですか?

(渡辺さん)「その前年に、Cafe 結+1(カフェユイプラスワン)さんができたんですね。それを見たときに、われわれ商売人とは違って、想いを商売の形にしたわけですね。〈アーカイブ記事:常陸太田で暮らす/働くならコミュニティの入り口として利用したい、鯨ヶ丘のコミュニティカフェ「Cafe結+1」〉ハード面での力がなくなっていくのは社会の変化とともにあって、それには目に見えないものもあるはずだと思うんです。それが簡単に言うと、コミュニティの変化と言えると思うんですけど。昔、商売が賑やかだったころは、コミュニティがこの地域の中に充満していたんですね。支え合ったものがあった。しかし、社会インフラがこの丘から離れて、バイパス沿いに集合するようになり、地域のコミュニティが小さくなり、その空白を企業が埋めていったんですね。お金で解決するということになる。じゃあ、どうしようかというところで、友達のコミュニティというのに着目すると、いままで地縁で成り立っていたけれど、これからは友縁をつくっていこうと。そうすれば、鯨ヶ丘の魅力が見えてくるかなと。僕らはずっと、目に見えるものを見てしまっていたけど、目に見えないものを見てみようと」

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(写真:山野井咲里)ご自身でまとめられてきた研究資料をもとに、丁寧に説明してくださる渡辺さん。

- なるほど。人と人との繋がりである“友縁”を商店街の財産にしようと?

(渡辺さん)「そう。人と人との繋がりですね。たとえば、この商店街では「ひなまつり」をもう11年やってますけど、なぜ「ひなまつり」がイベントとして良いかと言うと、例えばこの店にお客さんが入ってきて、昔のそれこそ昭和中期頃のお雛様を飾っておくと、お客さんと共通の話題が生まれるわけですね。「あ、うちにも同じものがある!」という感じで。お雛様に物語があるから、それを介して自分のお店の物語が話すことができるんですね。日本文化ってすべてそうですよね。伝統的な行事には、かならず生活に根ざした物語がある。そういうことも「スロータウン」って言葉に込めていることなんです」

渡辺さんの話から出た、伝統、生活、物語という言葉について考えてみると、これらは本来、移り変わる季節とともに営まれ、紡がれてきたものであるはずだ。鯨ヶ丘商店街のホームページをのぞくと、商店街の年間行事が和暦(旧暦)に関連づけられて紹介されていることに驚き、そして納得する。本来の自然のリズムに則した、適切な速度をコミュニティに取り戻していく。ノスタルジーを想起させる「スロータウン」だけでなく、より本質的な“在り方への願い”のようなものが「スロータウン」には込められてるのかもしれない。

このまちが好き

つづいて、以前は市役所として使われていた、鯨ヶ丘商店街のシンボル「梅津会館」の横にある、ブック喫茶「金茶猫と庭仕事」に向かい、店主の嶋根宏子さんに話を聞く。ちなみに以前、本ウェブサイトで記事として紹介している。〈アーカイブ記事:“大人の秘密基地”としても使ってほしい、鯨ヶ丘の隠れ家ブックカフェ「金茶猫と庭仕事」〉

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(写真:山野井咲里)

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(写真:山野井咲里)

- お店に入ると、心地よい沈黙があって本を読むのには良い空間だなと感じます。お店をはじめられた経緯を教えていただけますか?

(嶋根さん)「2011年の東日本大震災で、もともと所有していたこの建物が半壊状態になってしまい、家族の中では壊しちゃおうかという話しもあがりました。でも、やっぱり抵抗があって。まちのために空き地が増えるのは良くないなと。私は、鯨ヶ丘が好きだから。そしたら、古本屋だったら出来ちゃうかもなって、甘い考えなんですけど。でも古本屋は売れないよと友達に言われて(笑)。だったら、自分の蔵書を並べて、ブック喫茶だったら出来るかなと。最初は本を売ってたんですけど、自分の本を売るわけだから、どんどんやっぱり売れないという本が増えちゃった(笑)。でも、ここに来て、ゆっくり本を読む時間を楽しんでもらうというのが、私のやりたいことなんです」

- 嶋根さん、鯨ヶ丘がお好きなんですね?

(嶋根さん)「鯨ヶ丘ね、好きですよ。私は水戸からお嫁に嫁いで来たんですけど、こんな良い場所なんだって思いました。私もお客さんから教わったんですけど、メインストリートから逸れた小さな路地をこのあたりでは根道(ねみち)って言うんですけど。根道なんて最高ですね。なんとも言えない生活感があって。それと、古い建物も好きだし、好きなのものがいっぱいあるんですよ、ここには」

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(写真:山野井咲里)「パソコンを広げて仕事してもらうのも大歓迎」と嶋根さん。ただしWi-Fi環境ではないので、企画を考えたり、執筆したりするのに良さそう。

自分が好きな鯨ヶ丘について語る嶋根さんの目は輝いていた。「好き」とは、なんて説得力のある言葉なんだろう。嶋根さんは、他にも、まちに花を植えるというボランティア活動をされたり、お店をはじめる前は、この土地の魅力を伝えるためのホームページを自主的に立ち上げて情報発信をしていたそうだ。「好き」は資源や資本にもならないし、数値化されないし、価値そのものではない。でもきっと、嶋根さんのような人が、このまちを支えている。

根道の先に

嶋根さんに教えてもらった“根道”を少し歩いてみることにした。表通りを歩きながら、ふと脇にある根道を覗き、好奇心を頼りに進んでみる。生活感があればあるほど、よそ者がそこを通るには躊躇してしまうが、世界中どんなまちを歩いていても、だいたい面白いことはその先に待っている。

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(写真:山根晋)

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(写真:山根晋)

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(写真:山根晋)

のんびり歩いていると、どこからか「ガツン」「ガツン」と薪割りをするような音が聞こえてきた。音の聞こえる方に歩いていくと、一人のおじいさんが薪割りをしている。恐る恐る後ろから近づいて、声を掛けてみる。

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(写真:山野井咲里)

おじいさんの名前は、小林茂さん。長年、林業に携わってきたそうだ。神社仏閣の御神木を伐木したり、20メートル以上の木に登ることもあったという。年齢を聞くと、82歳というので、さすがにもう引退されているのかと思ったら、頼まれたら引き受けることもあるそうだ。それだけ林業の世界に、若手がいないということだろう。小林さんのように高度な技術と経験を必要とする現場では、なおさらのこと。小林さんが使っていたという、昔の道具類も一通り見させていただき、今では見なくなったような形状にたまげる。

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(写真:山野井咲里)

最初、挨拶がわりになにげなく小林さんが言った「すんません、道を塞いでしまって...」という一言が気になった。あきらかに私的な生活道に思えるが、ご本人の感覚としては、あくまで公道のようだった。(もちろん法的にはそうなのだろうけど)そういえば振り返ってみると、根道で印象的だったのは道幅と佇まいの妙なアンマッチ感だった。道幅は生活が溢れ出すほどの狭さなのに、公共的な節度がどことなくある。よそ者からすると、通っても良いんだろうけど、なんとなく通りづらいなと感じる原因はここから来ているものだと思う。おそらく、そうした根道が空間的に保全している感覚も、今では忘れられつつあるのだろう。金茶猫と庭仕事の嶋根さんが言う「なんとも言えない生活感」とは、そんなことを指しているのかもしれない。

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(写真:山野井咲里)

 

 Text  / 山根晋 Photo / 山野井咲里(一部、山根晋)

 

後編に続く>>>

 

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