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更新日:2021年3月17日

記憶の風景 そしてアンブレラはつづく(前編)

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記憶の風景

2020/12/5-6の2日間、『our umbrellas』という写真展が常陸太田市で開催されました。発起人は、このウェブマガジンにもたびたび素敵な写真を寄せてくれている山野井咲里さんです。偶然の連続からこの企画が生まれ、転がり、新たな好奇心の芽を膨らませていく物語を、前後編にわたってお届けします。
書き手は山野井さんご本人。今と昔、日常と非日常を行ったり来たりしながら綴られていく、おだやかな文章です。

 

「みんなが撮った写真を見てみたい」

そう思ったことが、最初のきっかけでした。

1991年、多くの人が覚えているだろう、クリストとジャンヌ=クロードのアンブレラ・プロジェクト。

舞台となったのは茨城県北部、常陸太田市の旧里美村。稲刈りを終えたばかりの水田や土手の上、流れる川の中などあたり一面に、高さ6m、直径8.66mの巨大な青い傘を1340本も立てるという、壮大な取り組みです。

このプロジェクトは日本とアメリカで同時に行われ、クリストによれば、“両国2つの谷における生活様式、そして季節の色彩と光の類似および相違を反映する”というもの。カリフォルニア州では29キロにわたって黄色の傘が1760本並びました。

私がその風景を初めて目にしたのは、常陸太田市の鯨ヶ丘商店街でのこと。といっても、直接にではありません。それは撮影のためにふらりと立ち寄った店先に飾られた、数枚の写真でした。

“なんて綺麗なんだろう。現実ではないみたい、まるで絵画のよう”

別のお店に入ったときも、その写真はありました。田んぼのなかに、青い傘が並ぶ風景。日常目にしている風景の、知らない姿。

地域の人が撮影した、アンブレラの写真をもっと見てみたい。その日私は、そんなことを思ったのでした。

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お店に飾られていた写真。

それからしばらく経って、「鯨ヶ丘にある、暫く使われていなかったおじいちゃん家を活用したい」という人と出会います。阿部深雪さん。以前、私の写真展にたまたま立ち寄ってくれた方です。

「どんな場所か、まずは一緒に見に行きましょう」ということになり、私はわくわくして向かいました。

細い路地を進んでいった先に、その建物はありました。眺めのいい高台で、すぐそばには稲荷神社の鳥居が見えます。

なかにはまだ、ソファや箪笥、生活のものが残っていました。長いこと使われていなかったような、かと思えばつい最近まで生活していたような、不思議な雰囲気が漂う室内。閉められたままの雨戸を開けると、その向こうには常陸太田のまちを一望することができました。

そして、ここでもまたあの風景に出会います。それは阿部さんのおじいちゃんがアンブレラの前で撮った記念写真でした。

私は思わず、みんなが撮ったアンブレラの写真が見たいと思っていたこと、その写真を集めて写真展をやったら面白いんじゃないか、という話をしました。

「それ、ここでやりましょう!」

間をおかずに答えた阿部さんの一言で、初めて会ったその日でした、アンブレラの写真を集めた展示をこの家でやることが決まったのです。

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阿部さんのおじいちゃんとアンブレラの記念写真。

さて、どこから手を付けたらいいだろう。そう思ったときに最初に頭に浮かんだのが、このウェブマガジンでクリストのアンブレラプロジェクトについての記事を書いていた岡崎靖さんでした。(連載:“クリスト”という事件(外部サイトへリンク)

早速岡崎さんに連絡をとり、実際にアンブレラが並んでいた最北の地、里美地区の陣場(じんば)を案内してもらうことに。

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岡崎さんに案内してもらった陣場。1991年当時は棚田が並ぶ美しい風景が広がっていた。耕作されなくなった現在も、棚田の面影が残っている。

写真の青い傘は、棚田のなかを流れる一筋の川のように上から下へと続き、それはとても綺麗な風景でした。クリストの計算によって、周りの風景と調和しながら、一つの絵画のような効果をもたらした青い傘。今はないその姿を、写真の風景と照らして想像しながら歩きます。

その後、岡崎さんは当時クリストと交流のあった石川武さん、当時の様子を記録していた中野勉さんを紹介してくれました。石川さんはプロジェクト時、別宅を事務所としてクリストに提供していたそうです。石川さんのお母さんが入院してしまったときには、病院までお見舞いに来てくれたんだと、クリストの人柄がうかがえるエピソードも教えてくれました。

傘を立てるため、地権者の家を一軒一軒回っては、自ら交渉をしたクリスト。訪問先で出されて飲んだお茶は6000杯にもなったという話は有名です。自ら求める美のために、足を使い、一貫して取り組む姿勢が人々の心に残る風景をつくったのだなと。

中野勉さんは、今からちょうど10年前、仲間と有志で『クリスト・アンブレラ回顧展』を開催していました。写真もそのまま残っていて、奥さんをモデルにアンブレラの前で撮影された写真は、髪型やファッションなど、当時の流行まで切り取った一枚でした。とても素敵だったので、この写真は後々、展示のチラシとして使わせてもらうことになります。

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展示のチラシとして使わせてもらった一枚。

中野さんの奥さんは、当時クリストの説明会に出席していた父親の話が印象的で忘れられないと話してくれました。

「なんでこんなことするんですか? 報酬があるわけでもないのに、目的はなんですか?」

すると、クリストから逆に質問をされたそうです。

「あなたには子どもがいますか?」

子どもがいることを伝えると、 「あなたは子どもを育てるのに見返りを求めますか? 親の愛情は無償の愛情、それと同じで、見返りを望んではいないのです。このプロジェクトをみんなに見てもらいたい」

クリストにとって作品は、子ども同然。とても大事なものであることが伝わってきました。

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岡崎さんに案内いただき、中野さんを訪ねたときの様子。

陣場の旅から戻り、今度は会場の準備です。阿部さんと阿部さんの友人にものを運び出してもらい、襖や障子の戸を外すことで、一つの広々とした空間ができました。眺めがよくなるようにカーテンも外します。

すると、この家は、この風景のために建てられたものだということがよく分かりました。
南と東に向かってなるべく見晴らしがいいように、最大限の窓が施されているのです。

阿部さんは幼い頃、この家に家族で住んでいた時期があり、歌好きな父が近所の人を呼んでカラオケ大会をしていたという思い出話をしてくれました。窓から見えるこの風景をとても愛していて、みんなとそれを分かち合い、楽しんでいた。そのときふと、ここで過ごした家族の風景も、クリストのアンブレラの風景と一緒に展示したいと思いました。

貴重な写真や映像、記念品のテレフォンカード、当時の来場者に配られた傘の布のピースまで。周りの方のおかげで、さまざまな資料が集まりました。そして12/5,6の2日間、鯨ヶ丘の「12月倉」というイベントに合わせて、無事に展示はオープン。

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阿部さんの祖父の家を展示会場として集めた写真を展示した。同時に風景も眺められる。

当日は阿部さんによるコーヒースタンドも設置。コーヒーを飲みながら、ゆっくり見てもらいたいと思ったのです。

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コーヒースタンドに立つ阿部深雪さん。一番左。

初日は悪天候にもかかわらずたくさんの方が訪れ、2日目は天気にも恵まれて、さらに多くの方たちが会場に足を運んでくれました。陣場で話を聞かせてくれた中野さん、石川さんの姿もあります。

そして、クリストと交流のあった石川文男さんは、何度も会場を訪れ、新聞の切り抜きをコピーして持ってきたり、クリストの再訪時に案内をしたときの話もしてくれました。当時を楽しそうに話す石川さんを見て、あの出来事はやはり、このまちの人にとっていい思い出になっていることがよくわかりました。

そのなかで、時間をかけて一つひとつ、じっくりと写真を観てまわる人がいました。声をかけると、その方は小林真行さんという、東京でアートプロジェクトの仕事をしている方でした。

なんでも、クリストのアンブレラ・プロジェクトを長いこと調べており、そのリサーチのために茨城に来ているとのこと。ここへ来る前は里美の岡崎さんを訪ねていて、ちょうどこの展示の話を聞いて見にきたということでした。

「こんなに地域の人の心に残り、プロジェクトが終わった後も自主的に回顧展が開かれる。これまでそんな人がいただろうか」

小林さんは、クリストのアンブレラ・プロジェクトを探ることが、これからの地域とアートのいい関係を見出す手がかりになるのではないか、と考えているようでした。

私も里美の人たちに話を聞くなかで、みなさんの心のなかにずっと、あの風景があることを感じていました。傘が広げられたのは一時だけ。だけどそれは、記録や記憶を通じて、永遠に残る風景になっている。

地域のためではなく、あくまでも自分の見たい風景をつくろうとしたクリストの取り組みが、結果的に地域の人たちの心に生き続けているというのは、とても興味深いし、大切なことのように思えました。

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みなさん、一枚ずつじっくりと見て回る。

展示の余韻に浸りつつ、帰りに寄った薬局で、地元で鍼灸院をしている篠原勇人さんと久しぶりに顔を合わせました。篠原さんは以前、私が開いた別の展示を見にきてくれたことがあります。

「展示はまたやらないの?」

「実は、さっきまでやってたんですよ。地域の人たちが撮ったアンブレラの写真を集めて、板谷坂にある高台の家で展示して」

「あの稲荷神社の所の?」

「そうです」

「眺めの名所だったところでしょ?」

それは、私の知らない情報でした。聞くと、篠原さんは昔の絵葉書を集めていて、そのなかで阿部さんのおじいちゃんの家のあたりは、眺めの名所として紹介されているそうなのです。

後日、絵葉書を見せてもらうと、たしかにそこには、あの高台から見えるのと同じ風景がありました。

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観光用に売られていた名所の葉書。右下の葉書が阿部さん家の目の前の稲荷神社からの風景。

今と昔。日常と非日常。つくられたものと現実。

展示が終わってからも、風景が風景を呼んでくるような日々が続きました。

そんななかで、展示の初日にお話しした小林さんから、メッセージが届きました。先日の感想に添えて送られてきたのは、2016年の県北芸術祭のプログラムのひとつ、飴屋法水『何処からの手紙』のテキスト。

『何処からの手紙』は、あらかじめ会場が明示されていない展示でした。指定の郵便局に手紙を出し、返送されるテキストを読んではじめて会場がわかるようになっています。そのうちのひとつが、この鯨ヶ丘にある、廃業した旅館「若柳」でした。

テキストのなかには、こんな一節があります。

“夜になれば、常陸太田の夜景がきれいだ。
かつては、一面の田んぼだった。田んぼの真ん中で花火大会が行われ、ホタルが飛び交い、それを見ながら酒を飲む、若柳はそんな場所だった。”

私は、その風景を見てみたいと思いました。作品のフィクションの部分なのか、かつて本当にそんな景色が広がっていたのか、それはわからないけれど、見てみたい。ちょうど、はじめてあの青い傘の写真を目にしたときのように、そう思ったのです。

今度、あらためて小林さんと話します。もう少し、この記憶の風景をたどる旅を続けてみようと思います。

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文・写真 山野井咲里

    

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