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更新日:2022年3月28日

ウクレレは人と人をつなげるきっかけ 日立市 ウクレレ製作家 平野誠さん

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インタビュー 

楽器製作の経験はゼロ。宅配サービス会社勤務からウクレレ製作家に転身したきっかけは、ただ偶然ウクレレが目に入っただけ、という平野さん。
今回は、東日本大震災、新型コロナの影響も乗り越え、日立市を拠点にウクレレを製作し、県内外にファンを持つ平野誠さんに話を伺いました。

文・写真=高木真矢子
取材:2022/2/7

 
 
―平野さんの経歴とウクレレとの出会いを教えてください。

平野:僕は、生まれも育ちも日立市で、工業高校を卒業した後、一度、製造工場に勤めました。その後、日本料理店の見習いに入りましたが、ウクレレ製作家になる直前は宅配サービス会社の社員として働いていました。
ウクレレとの出会いは本当に偶然で、ある日、水戸駅直結の複合ビルにある楽器店の前に飾られていたウクレレが突然目に飛び込んできたんです。それでその時、勢いで5000円くらいのウクレレと教本を買ってしまいました。

―元々、楽器に興味があったり、好きだったりしたのでしょうか?

平野:いえ。楽器をやってみたいなという気持ちはありましたが、音楽を聞くのが好きだった程度で、それまでは楽器を演奏したことはありませんでした。
ウクレレも教本を見ながら独学で始めてはみたものの、すぐ行き詰まってしまいました。
当時の配達員の仕事の中で、自分のニュースを担当エリアのお客様に配布する企画があったので、「ウクレレ始めました」と書いてみたんです。すると北茨城のお客さまからいわき市のウクレレ教室を紹介されて、そこに通うようになりました。

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―弾く方から始まって、作る方に興味が広がったのはどんなきっかけがあったのでしょうか?

平野:僕は元からハマると熱中するタイプで、ウクレレにも一気にはまっていきました。始めて1年後くらいだったか、最初のウクレレは5000円ぐらいでしたが、3万円ぐらいのウクレレはどんな感じなんだろう、とかどんどん興味が湧いていきました。ある時、同じ教室に通う生徒さんが8万円くらいのウクレレをハワイで買ってきたのですが、素材も音も素敵で、それも欲しくなってしまいました(笑)。そうこうしているうちに、最終的にはアメリカの個人製作家作の40万円くらいのウクレレが欲しくなってしまって。でもその時は妥協して、少し安い方のウクレレを買ったのですが、結局、ローンを組んででもそのウクレレを買うべきだったと、すごく引きずることになりました。

それで、最初に買ったウクレレを分解して、構造を確認して真似して作ってみたんです。それが、初めてのウクレレ製作でした。
思い返してみると、小さい頃からラジコンとかミニ四駆が好きで、元々手先は器用な方だったと思いますが、そういうのもあって、1台分解してみれば作れるかも、と思ってしまったんです(笑)。

―買えないなら、自分で作ってみよう、と・・・挑戦ですね。ちなみにウクレレ製作を学べる学校などはなかったのでしょうか?

平野:ウクレレ特化ではないですが、楽器製作を学べる専門学校はありました。当時は、まだ会社員でしたし、仕事を辞めて専門学校に入る勇気はなかったので、インターネットで検索した情報や雑誌の写真とかを見て、材料はホームセンターで買ってきて想像で作りました。

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初めて作ったウクレレは、ネックという左手で持つ部分の、大きさ、形など、ほかのウクレレを採寸して作ったのでその形にちょっと似ています。
ウクレレ、と言っても、それぞれ形もサイズも違いますし、形もその人の好みなどによってさまざまです。

―弾く方から始まり、どんどんのめりこんでいかれたんですね。そこから開業まではどのように?

平野:2010年に、これでやっていこうと前職を辞めたものの、最初は大変でした。開業したばかりの頃は、微々たる退職金で始めましたし、開業してすぐに東日本大震災があって、しばらくは世の中の自粛ムードもあってなかなか注文もありませんでした。あっという間に退職金も底を尽いて、アルバイトを3つ掛け持ちしていた時期もありました。

―ウクレレ製作にあたって、素材などへのこだわりはいかがでしょうか?

平野:材料に関しては、なるべくウクレレ製作に「良い」とされているものを使うようにしています。
鳴り(音の響き方)もそうですが、個人製作家としては、デザインの独自性が大切だと考えていて、木目も、牛肉でいうサシのような部分が入っているものにこだわっています。そういった材料は、やはり希少なものが多くて、例えば、ハワイアンコアと言うハワイでとれる木も、横に虎目と言われるラインが入っているものと、そうでないものでは値段が全く違います。
パーツにより使う産地もホンジュラス産であったり、インド産だったりさまざまです。
木は縦にたっていて、全部縦に線が入ってみえますよね。音には、木目はそこまで関係するわけではないのですが、この木目(虎目)は全体の5〜10%ほどしかないので高価になります。ここを使う、というのはこだわりです。

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―ウクレレは、どういった作り方をされるのですか?

平野:ネック作りから始まります。ここがねじれたり、そったりすると致命的なので、多少歪みが出るのを踏まえて、先にある程度加工して、少し寝かせて様子をみます。
その間にひょうたん(胴)の部分の側板を作ります。側板は2ミリぐらいまで薄くして、熱で少しずつ曲げ、型枠にはめて安定させます。
次に、胴の上側の板に、サウンドホールという穴を開け、装飾をして、作っておいた胴の側板の上下に表の板と裏の板を貼り、箱にします。そこに、寝かせて安定させたネックを貼り、指板を貼り付け、最後に弦を張って完成です。

寝かせる時間などもあるので、ウクレレは1本ずつではなく、同時進行で5〜6本くらい作ったりします。
乾燥しすぎて割れてしまうようなこともあるので、湿度など、季節の影響を受けないように湿度管理をした環境で製作します。

―素材や環境から、どう出来上がるかを見極める目も必要なんですね。茨城県の木材の使用状況などはいかがでしょうか?

平野:強度的になかなか厳しい部分はありますが、使うとしたら表の板くらいでしょうか。
本当に大きな木なら国産でも作れなくはないと思いますが、そもそも松は柔らかくて傷もつきやすい。ウクレレは割とラフに扱われることもある楽器なので、コストの部分なども含めて考えると国産材料を使うのは難しいのが現状です。
茨城県産の材料で製作できれば、地産地消にもなって素敵ですね。

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―ウクレレのブームなど、業界の流れなどはいかがでしょうか?

平野:県外からのオーダーは多かったのですが、昨年末くらいからさらにオーダーが増えています。
とはいえ、コロナの感染拡大が始まったころは、教室もできないし、取引先の楽器店も休業するしで納品もできなくなってとにかく大変でした。
今、(コロナの感染拡大の影響が出始めてから)2年経ち、楽器店への納品も再開されていますし、コロナ禍でも自宅で手軽にできることからウクレレの需要が高まった、という感じはあります。
実際に素材を見たい、と工房に来られてオーダーされる方もいます。

―地域での活動として、昨年茨城キリスト教大学で講師もされたと伺いました。

平野:生い立ちや、これまでの仕事と、どうして会社を辞める決断をしたか等について話しました。学生の就職にあたって、例えば、「1つ目の就職で全てが決まると思わない方がいい。」とか、「給料だけで決めない方がいい」といったちょっとしたアドバイスがメインです。就職を不安に思っている学生が多いと思うので、働き方と生き方、のような話をしました。

―学生達の反応はいかがでしたか?

平野:「自分のやりたい夢や、やりたいことをやって生きるべきだと感じました」とか「これから生きていくために、とても参考になった」などの感想をいただきました。
リアルな部分で、「平野さん自身はもうアルバイトをしてないとおっしゃっていたが、奥さんも専業主婦なのか、自分たちの店で働いているのか」という質問もありました(笑)。楽器を作って生活が成り立つなんて、なかなかイメージができないですよね。

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―確かに。そうそう身近に楽器を製作するような方はいないですよね。話は戻りますが、前職を辞めてウクレレの製作で生きていく、と決断したときのご家族の反応はいかがでしたか?

平野:父からは、「大丈夫なのか?食べていけるのか?」と聞かれたましたが、止められることはありませんでした。止めても多分止まらないと思っていたでしょうし、何よりもう社会人でしたし。
ただ、妻の実家に挨拶に行く時は、さすがに緊張しました(笑)。妻とはウクレレつながりでの出会いでしたが、ちょうど直前に雑誌に載ったので、雑誌を持参して、無事に挨拶を済ませました。

―それはよかったです(笑)。ブログかFacebookで拝見したのですが、もうすぐ制作したウクレレが300本になるそうですね。

平野:今で、280本くらいになっています。オーダー分で300本になるかな、というところです。ただ、300本目はとりあえず良い材料を使って、記念にしたいと思っています。
100本目、200本目の時にも問い合わせがあって、200本目は、いわき市にいる自分の製作器の愛用者が購入してくださいました。ありがたいです。

―開業後のご苦労や、すごもり需要による受注増など、さまざまな局面を乗り越えてこられて、どんな状況でも折れない、投げ出さない・・・平野さんのそういう芯の強さは、どこから来るのでしょうか?

平野:開業当時、始発で常陸多賀駅を出て、9時間バイトをして、21時ころに水戸の大工町の工房に行って作業をして、その後また別のバイトに行って・・・という生活をしていたこともあります。終電を待つ間にホームで寝てしまったこともありました。
この頃が一番辛いし、しんどいし、切なかったのですが、やはり自分で決めて選んだことなので、途中で投げ出して負けたみたいになるのはイヤだ、と思っていました。
でも、開業当時の辛さは30代じゃなかったら厳しかったかもしれません(笑)。もし、定年になってからだったら、と考えると、今こうして続けられていたかはわからないですね。結果的に、若いときに勢いで会社をやめて、この道に進んで正解だったと思っています。引退してからあれをやろう、これがやりたい、という考え方もあると思いますが、その時に健康でいられる保証もないですし、もしかしたら死んでしまっているかもしれない。「今やっておかないと後悔するかもしれない」そう感じたことはやろう、という気持ちでいます。
だから、コロナ禍の状況は、その頃に比べたら全然平気でした。自粛ムードも時間が立てば収まると思っていました。当時はバイトで耐え忍びました。

―後悔しない生き方を貫いていく、ということですね。今後の展望として、やっていきたいことなどはありますか?

平野:ウクレレを演奏する人を増やしたいです。工房に展示しているウクレレだけでも、一つひとつ形も材料も大きさも音も違います。実際に目で見て、触って弾いてみて、これだ!という出会いがあると思うので、工房にも足を運んでいただけたらうれしいです。
敷居を低くする、という部分も含めて、このコロナ禍でウクレレ製作の端材を使った雑貨を作り始めました。
例えば、今回のコロナ禍の自粛期間で楽器店が閉まっていて納品ができない、というような場合でも、ほかに売り上げになる手段を見つけておけば、楽器がもし売れなかったときでも何とか乗り切れる。リスク分散の一つでもあります。
しおり、ストラップ、ピアス、キーホルダー、ピンバッジなど、小ぶりでお土産にもなる、ウクレレアピールもできるアイテムです。SNSでの反響も大きく、誰かがつけていると、そこから会話が生まれたりしていてうれしい反応もあります。

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―小さなきっかけをつくる・・・素敵です。最後に、皆さんに共通してお伺いしている質問なのですが、約8年後の2030年、どこで何をしていると思いますか?

平野:2030年も、この日立でウクレレ製作をやっていると思います。
楽器って不思議なもので、仲良くなるコミュニケーションツールになるんです。
これがウクレレのいいところで、魅力です。ウクレレを通して、地域の内外で人と人がつながるきっかけを作り続けられたらいいなと思います。

 

インタビューの最後に、少しだけですがウクレレを弾いていただきました。
平野さんのウクレレの音色をお楽しみください。 

 

https://blog.goo.ne.jp/makolelehandmade245(外部サイトへリンク)

https://www.instagram.com/makolele_uke/(外部サイトへリンク)

 

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