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更新日:2015年4月1日

茨城県の人口重心の推移~国勢調査の結果から~

 平成22年2月掲載

平成22年10月1日に,5年に一度の国勢調査が行われます。国勢調査は,大正9年(1920年)から現在まで続いている最も重要な統計調査で,今回で19回目に当たります。
国勢調査の結果から得られたデータは,少子高齢化対策,都市計画,防災計画,過疎対策など,国や地域の様々な政策の基礎資料として広く活用されています。今回は,国勢調査結果から算出された茨城県の人口重心について紹介します。

まず,人口重心とは,人口の1人1人が同じ重さを持つと仮定して,その地域内の人口が,全体として平衡を保つことのできる点(重心)をいいます。
人口重心によって,その地域の人口の分布や移動の状況を示すことができます。
また,重心の位置を時系列的に表示することによって,人口分布の推移を把握することができます。

図1及び表1をみると,大正9年から昭和10年までは,重心の位置は石岡市(旧八郷町)東成井(ひがしなるい)あたりでほとんど変化がありませんが,昭和10年から15年にかけて北東に向けて重心が移動します。これは日立市を中心とした軍需工場の拡大等によって,労働力人口が県北地域に流入したためです。
昭和22年の臨時国勢調査では,戦争によって工業地域が破壊されたため,県北地域の人口が減少し,人口重心は昭和10年当時とほぼ同じ位置に戻ります。
昭和25年から昭和40年にかけて,高度経済成長等により日立市・ひたちなか市(旧勝田市)を中心とした県北地域の工業地域に人口が流入し,再び北東に人口重心が移動します。昭和30年には日立市の人口は水戸市を抜いて県内1位になり,昭和51年10月1日現在まで県内で最も人口が多い市でした。
昭和45年以降は,一転して人口重心は南南西の方角に向けて移動します。鹿島開発,筑波研究学園都市の建設,県南地域の首都圏のベッドタウン化等により,県南地域に人口が流入したためです。

人口重心地の写真

上の写真は,平成17年の人口重心位置で撮影したものです。茨城県の人口重心位置は,東経140度13分44秒,北緯36度13分16秒で,石岡市正上内(しょうじょううち)あたりです。背景に見えるのは,(仮称)石岡・小美玉スマートICの工事箇所です。
茨城県常住人口調査によると,平成17年国勢調査以後も,つくばエクスプレスの開通等により県南地域の人口は増加しており,平成22年の国勢調査結果では,さらに南に人口重心が移動することが予想されます。
人口は,社会を構成する最も基礎的な要素であり,人口の変化は社会情勢の変化と密接に関係しています。人口重心の推移は,茨城県が歩んできた歴史であるともいえるでしょう。

表1 茨城県の人口重心
人口重心地の推移

人口重心についての詳しい解説はこちらをご覧ください

総務省統計局ホームページ(外部サイトへリンク)

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~調査期日は10月1日金曜日です~

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