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更新日:2015年4月1日

人口重心-県内人口の歴史-

 平成11年2月26日紙上掲載

平成11年1月1日現在の本県の人口は2,995,553人(茨城県常住人口調査結果)で,あと4,447人増加すると300万人の大台に到達することになり,平成11年中には達成する見込みです。
最初の国勢調査である大正9年の人口が約135万人でしたから,それから,約80年で約165万人増加することになるわけです。

ところで,皆さんは人口重心という言葉をご存知でしょうか。平たく言うと,重さで見たモノの中心のことで,人口を重さと見なして,人口の分布から見た重さの中心が「人口重心」になります。ここでは各市町村の市役所・町村役場の所在地に各市町村の全ての人口があるものと仮定して,各緯度・経度毎に加重平均を算出することによって,本県における人口の重心点を求めました。平成11年1月1日現在の常住人口調査をもとに計算すると,本県の人口重心は東茨城郡美野里町羽鳥十二所辺り(経度:140度17分5秒,緯度:36度13分7秒)でほぼ美野里町と石岡市の境に辺ります。県の人口が200万人に到達した頃の人口重心は,新治郡八郷町東成井辺りで,250万人に到達したころは美野里町脇山辺りでした。

大正9年から昭和5年にかけての人口重心は新治郡八郷町東成井辺りでしたが,昭和10年から15年にかけては戦時状態からの疎開などのため東京圏から人口が流入し,北東の方に移動しています。昭和22年には第2次世界大戦からの復員や新規開拓の増加等の影響で,再び南西の方へ移動しました。昭和25年から昭和40年までは県北地域の日立市や勝田市(現在のひたちなか市の一部)の工業化の進展に伴って工場立地が進み,人口の重心は北東の方へ強く移動していきました。そして,昭和40年以降は県南地域の首都圏のベッドタウン化が進んだことによって継続して南南西の方角に移動していっています。本県における人口重心は,県南地域の人口増加とともに今後も南へ移動するものと思われます。

人口重心が移動してきた経緯は,県の歩んできた歴史でもあると言えるでしょう。

 

 

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