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更新日:2002年7月22日
2000年最初の「ふるさとおもしろ統計学」です。今年もわがふるさと・茨城県を統計でおもしろくご紹介してまいります。
さて、ミレニアム(千年紀)ということで千年前と現在を比較したいところですが、西暦1000年といえば日本は平安時代。ここで取り上げるには少し古すぎるということで、100年前の西暦1900年(明治33年)の茨城県と現在の茨城県とを比較してみたいと思います。
人口 | 世帯 | 農家数 | 工場数 | 従業者数 | |
---|---|---|---|---|---|
100年前 |
1,177,080人 |
187,030戸 |
143,927戸 |
63工場 |
3,410人 |
現在 |
3,001,469人 |
989,010戸 |
133,294戸 |
13,656事業所 |
297,123人 |
昨年10月15日に300万人を突破した人口ですが、100年前の人口はといえば現在の約4割の118万人でした。一方、世帯の数は、現在(平成11年12月1日)の98万9千世帯に対し、100年前はこの約2割の18万7千世帯でした。当時、人口より世帯数がはるかに少ないのは、今のような「核家族」などという言葉がない、おじいちゃん、おばあちゃんが一緒に住む家族が現在よりもはるかに多かった時代であったことによるものです。
ところで、明治以降急速に発展したものの一つとして「交通」が挙げられます。
特に鉄道については、常磐線が明治31年に上野駅から宮城県の岩沼駅まで全通しました。明治36年当時の「汽車時間表」を調べてみますと、水戸駅発7時40分の汽車が上野駅に12時40分に到着していますので、実に5時間もかかっていたことになります。今ではスーパーひたちで1時間余りですから、隔世の感があります。
一方、農業に目を転じてみると、現在茨城県は、農業粗生産額で全国第3位を誇っておりますが、農家数は当時約14万世帯であったものが現在は約13万世帯とさほど減少してはおりません。さきの全世帯数と比較すれば、当時はほとんどの世帯が農家だった農業県ということがわかります。
農業に対して当時立ち遅れていたのが工業です。今でこそ工場数は約1万4千で全国第16位となっておりますが、日立や鹿島地域に工業地帯もなかった当時は僅か63工場で、従業員数は約3,400人と微々たるものでした。
このように、この100年間における茨城県の発展は目をみはるものがあります。次の100年後の茨城はどんなすばらしい県に変わっているのでしょうか。新しい21世紀の未来に向けて、本県がさらに飛躍するためのスタートの年にしたいものです。
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