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ホーム > くらし・環境 > 人権・男女共同参画 > 人権 > 茨城県福祉部福祉政策課人権施策推進室 > 令和7年度人権メッセージ入賞作品
ページ番号:2829
更新日:2025年11月18日
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県民の皆さまに広く人権について考えていただくため、人権メッセージを募集し、厳正な審査の結果、入賞作品が決定しました。多数の御応募ありがとうございました。
応募総数69,151作品
遊歩道を歩いていると、スポーティーな格好の老夫婦が走ってきた。目を引いたのは、おばあさんの黄色のゼッケンとおじいさんのサングラス。すれ違いざまに、ゼッケンの「伴走」という文字と、2人が握るリボンの輪が見えた。伴走は、他人のそばについて走ることを意味する言葉らしい。引っ張るのではなく、隣で一緒に、互いに支え合って前に進む、優しく、あたたかい、それでいて希望をもった言葉。誰もが「伴走」し合える世界になるといいな。
「生まれてきてくれて、ありがとう。」ぼくの母ちゃんがねる前にいつも言うことば。ぼくは、みんなの宝ものらしい。だから、一日のおわりに、母ちゃんは、ぼくにそう言う。イヤなことやかなしいことがあっても、このことばで、心のチクチクがきえていく。あの子もとなりの子も、きっと、だれかの宝もの。宝ものは、大じに大じにしないとね。ぼくも母ちゃんに言いたいな。「こちらこそ生んでくれて、ありがとう。」って。母ちゃんからもらった命は、宝もの。
私の頭から、「あいつ、外国人らしいよ」と言う言葉がはなれません。私は外国人です。はじめて日本の学校に来た時は、泣いてばかりでした。怖かったんです。自分がいる所がなくなるんじゃないかって。そんな時に唯一助けてくれた友達がいました。まるで私が、日本人かのように。それがきっかけで、自分に自信がつきました。今では、その子と大親友です。だから、私も「外国人だから。」っていう考えをすてて、「同じ人間だから。」という意見をもつようになりました。
私は人に「可哀想」と言う人が苦手だ。私の姉は小児がんを経験している。二年近くの入院を余儀なくされ、親戚や先生は姉を可哀想だねと言っていた。でも私はそうは思わなかった。辛い治療を弱音も吐かず乗り越えた姉は決して「可哀想」なんかじゃない。私の自慢の姉だ。人の気持ちを想像することや、共感することは大切である。しかし、決めつけて同情することは人の尊厳を傷付ける場合もあると私は知って欲しい。
私は障がいがあり、車椅子で生活している。私にとって、エレベーターは必要不可欠である。エレベーターに行列ができている時、私はたまに、歩ける人はエスカレーターを使ってくれれば、私もすぐにエレベーターを使えるのに、と思う。そんな時、目に見えない障がいについて知った。見える部分で決めつけるのではなく、相手を考え、想像することは、思いやりに繋がると思う。私も一度、その人がエレベーターを必要な理由を想像してみようと思う。
赤ちゃんを抱いて、階段を上がろうとした時だった。「荷物、持ちますよ。」と声をかけられた。振り返ると、中学生の女の子がいた。とっさに、「ありがとう。でも、大丈夫よ。」と遠慮してしまった。「持ちますよ。」と再び彼女は言った。はっとした。私は勘違いしていたのだ。子連れはいつでも遠慮するものだと。差し伸べられた手を取ることも優しさなのだと気づいた。思いやりと勇気のある彼女が、格好良く見えた。我が子もこんな子に育ってほしい。