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更新日:2019年3月20日
大子町のファミリーレストラン「くれしぇんど」で昼飯を平らげたぼくらは、少しぼんやりした心持ちになっていた。なぜなら、とりあえずの目的地としていた場所にすでに到達してしまっていたからである。
繰り返すが、今回のミッションは本質的に目的地をもたない。だからといって路肩で乗客が手を上げて待っていてくれそうなスポットを流して回るタクシーのようであってもいけない。何事にも刮目してはならないのだ。取材の対象を探すのではなく、機会を探す、というか、待つ。取材の対象は自ずとやってくると信じて待つ。だから、いつも(といってもはじめての試みだが)設定するのは“とりあえず”の目的地だけだ。
ぼんやりしていても仕方がない。ここまでのところは水戸を出発して国道118号線を3時間かけて北上してきたので、今度は阿武隈山地を西から東に横断しよう。ひとまず、目的地は太平洋だ。
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舳先を向ける方向が定まって、くれしぇんどをあとにする。
袋田方向へ少し南下したところで、ぼくらはさっそく出会ってしまった。
右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)。赤い頭巾に赤い前掛け。正真正銘の地蔵菩薩である。説明文を読むと、大子地蔵尊という名がついており、昭和39年(1964年)に建立、とある。
その佇まいはなんとも奇妙だ。まず、全長はおよそ10m。地蔵にしては巨大である。なんでも、「日本一大きい地蔵尊」だそうだ。また、小高い丘の斜面にすっくと立っているものの、そのすぐ眼前にはありふれた住居建築がたちはだかり、その視界のおよそ半分は遮られてしまっている。大きいことがかえって仇になっているように思える。材質は石像や銅像ではなくコンクリートの型に流し込んで制作されたようだ。そんなシンプルな工法でつくられたためか、この地蔵は複雑な曲線をもたない。できるだけ多くの直線と必要最小限かつかんたんな曲線とで作られている。そのミニマルな佇まいが現代的ですらある。
…と、はじめて出会ったように装っているが、実はそうではない。ぼくにとってこのお地蔵さんとの出会いはちょうど二年前の、2017年3月まで遡る。
その年に開催されていたビジネスコンペに柄にもなく参加していたぼくは、光栄にも奨励賞をもらっていた。テーマは「県北で、県北をフィールドに、県北の人たちと雑誌をつくり、県北の文化をつくる」というものだった。聞こえは良いものの、今から思えばやや理想が過ぎるミッションであったことは否めない。大言壮語とはまさにこのこと。受賞はしたものの「さてどうしたものか」と立ち止まってしまっていた。何しろ雑誌なぞ作ったことがない(本業は本づくりなのだが、雑誌と本は本質的に異なる代物なのだ)。かといって、さっさと形を作ってしまえという気にもならない。作るからには良いものをつくりたい。そんなことを思案しながら、横浜の自宅兼事務所で席を立ったり座ったりしていた。しかし、そんな足踏みしていても何も始まらないのだ。とにもかくにも現地調査だ、と最初に訪れたのが大子だった。
その日の朝は、雨がちらつき、靄が湧く陰鬱な天気だった。宿泊先のゲストハウスで目覚めたぼくは、朝食を求めて近くのセブンイレブンを目指した。購入し、駐車場でコーヒーを片手に菓子パンに食らいついていると、ふと、背後からただならぬ視線を感じた。かといって恐れるものではない、このコーヒーを飲み干したらそっと振り返ろうと思って、実際にそのとおりにした。そこにいたのが、くだんのお地蔵さんだった。
初見なのにこのお地蔵さんのことをぼくは大いに気に入ってしまった。地蔵を見るとホッとするひとは少なくないだろう。でも、そのたぐいの感情ではない。姿かたちや表情が妙に愛くるしいのに加え、どういう雑誌をつくるべきかという悩みに対するヒントをこの地蔵との出会いによって見つけることができたからだった。
何か地域のことについて記事にしたためようとすると、その土地の歴史を紐解くことからはじめることがおおい。例えば、大子町は古くはこんにゃくづくりで栄えた、などという話から書き出すと、あとにつづく言葉は誰が書いてもだいたい決まりきったものになる。もちろんそれは間違っていないし重要なことだが、ぼくが作りたいと思っていた雑誌は少なくともそういうものではなかった。
1985年にクリストとジャンヌ=クロードが里美(現・常陸太田市)でアンブレラ・プロジェクトという作品を制作した。そのことについてはポットラックフィールド里美の岡崎靖さんが全四回に渡って書いた連載に詳しいのでそちらをぜひご覧いただきたい。彼らは、日本全国どこにでもありそうな田園に1340本の傘を配置した。それは、〈田園〉を〈どこにでもある風景〉という文脈から、〈傘〉を〈誰でも持っているもの〉という文脈からそれぞれ解放し別の文脈に配置し直すことで、誰も見たことのない風景を現前させるアート作品だったと解釈できる。
実は、コンクリート製のお地蔵さんをみてぼくが得た着想というのはそれに似ている。
このお地蔵さんは50年以上も前から日常の風景のなかにあって、一見すると溶け込んでいるように見える。しかし、観光地としての大子町にも、林業の町としての大子町にも、豊かな食文化を持つ大子町にも、美大生を呼んでアートで町おこしをしようという大子町にも、どんな大子町の文脈にも回収されずに佇んでいる。町に溶け込むどころか、異物としてひとの目につかぬよう隠されているようにも見える。
クリストのように無数の巨大な傘を打ち立てるようなことはできないが、すでにそこに存在しているのに見えなくなっている物事を、明るい場所へ引っ張り出すことで――つまり雑誌上で表現することで――見慣れた土地が鮮やかなものになるかもしれない。そういうラディカルな雑誌を作りたいと思った。そう着想するときのヒントを与えてくれたのは、このお地蔵さんだったというわけだ。
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イラストレーターの小林さんは「うわーいいですねー。愛くるしい表情ですねー」とつぶやきながら忙しそうにスケッチしていた。後日、すばらしい絵が送られてきた。宝珠が桃のように見え、錫杖の長さが少し足りていないがかえってよい。
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※こちらのイベントは終了しています。
3月21日(木)から25日(月)まで、本連載のイラストレーターである小林敦子さんが参加するグループ展「ふたことみこと」が大子町で開催されます。お地蔵さんを見がてら、遊びに行ってみてください。
期日 3月21日(木曜日・祝日)から25日(月曜日)まで
時間 午前10時から午後4時まで
会場 旧堀江歯科(大子町大子660番地5)
実施主体 NPO法人まちの研究室(外部サイトへリンク)
主催 大子町
問合せ先 NPO法人まちの研究室
TEL 0295-76-8025
(平日午前10時から午後5時まで)
絵・小林敦子(外部サイトへリンク)
編集/文/写真・中岡祐介(三輪舎(外部サイトへリンク))
小林 敦子(こばやしあつこ) 1989年岡山生まれ。筑波大学芸術専門学群美術専攻特別カリキュラム版画卒業。2014年よりフリーのイラストレーターとして活動。切り絵や水彩で身近なモチーフを描く。料理と植物とDIY好き。ktasybc.tumblr.com(外部サイトへリンク) |
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