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更新日:2018年3月2日

6.太田県立自然公園

位置図(JPG:33キロバイト)>>公園計画図(JPG:7,696キロバイト)>>

総説

西山荘

久慈山地南部十国峠から国見山、瑞竜、西山公園を含む区域が公園区域となっています。
史跡を中心としたこの公園は佐竹氏の支配時代とその後水戸徳川家の支配にあった時代とに区別され、佐竹時代のものとして、佐竹氏の菩提寺である佐竹寺、佐竹氏発祥の地の間坂城跡があり、徳川家に由来するものとして光圀が隠居し大日本史を編さんしたことで知られる西山荘、全長2キロメートルにおよぶ暗渠、トンネル工法をつかった治水工事の山寺の水道、水戸徳川家の菩提所及び朱舜水の墓のある瑞竜山があります。
その他、正宗寺、枕石寺、久昌寺、稲村神社、白馬寺等、文化景観にすぐれた公園で散策の場として親しまれ県内外から訪れる人も多いところです。

地形・地質

この地域が属する久慈川と里川にはさまれた久慈山地南部は、国見山(標高291.6m)以北は、火防見張所(321m)、観測所(322.7m)、十国峠(282m)など小岳が南北に縦走する高原地帯であり、国見山以南は標高100m前後の低平な丘陵地帯となっています。
地質は、主として第3系の中新統(砂岩、礫岩)に属し、南端部においては、鮮新統(砂質泥基底礫)が発達しています。国見山東側に古生界(角閃片麻岩)西側に中世代火成岩が分布しています。
常陸太田市町屋では町屋石と呼ばれる白地に黒丸が笹の葉状の模様がある「かんらん岩」が産出しています。地元ではまだら石とも呼び、その模様により、カサ、モミジ、ボタンとよんで区別しています。

植物

山田川、里川共その流域は早くから集落が発達しています。そのため、この地域は早くから里山的に拓かれ各沢沿いはほとんど尾根近くまで耕地化されています。
西山荘付近はなだらかな丘陵をなし、アカマツ、シラカシ、シイを優先種とする林が多く、沢沿いはスギ林がみられ、また瑞竜から北方は、尾根筋にはアカマツ林が、沢沿いにはスギやヒノキなどが植林され、その他はコナラ、クヌギなどの2次林になっています。

みどころ

佐竹寺歴史の里ハイキングコース入り口

  • 西山荘:水戸藩二代藩主徳川光圀(義公)が隠居され、死去するまでの晩年を過し、大日本史の編さんを行った場所です。国道293号線脇にある西山荘入口の碑に沿って源氏川に架けられた小さな橋を渡ると、山峡の奥まった幽すい境に、世捨人の佗住居のような構えの質素な建物(昭和49年県の史跡に指定されている)が老杉に囲まれています。
    なお、入口付近に西山公園があり市民の憩の場となっています。
  • 久昌寺:光圀が生母靖定夫人谷久子の冥福を祈るため七堂伽籃を造営したものです。
  • 義公廟:眺望のよい久昌寺裏の高台にあり、光圀の遺徳をしのび昭和15年に建てられ、中には光圀が生母久子の菩提をとむらうため書写した法華経10巻を檜板30枚に書したものに漆を塗りこめ収められています。
  • 山寺の水道:水戸藩の治水家として有名な永田円水が苦心の経営になるもので、長頭平から山の神部落を経て元久昌寺に達した水道で全長2キロメートルにおよぶ暗渠・トンネル工法などが用いられ当時としては例のない方式がとられ昭和32年、県の史跡に指定されています。
  • 佐竹寺:佐竹氏初代の昌義がこの寺に詣でた際、高さ20尋の竹に節がひとつしかない奇竹を見て、山寺の瑞光と感激し、姓を佐竹と改め、以来佐竹寺と呼ばれるようになったといわれ、本堂は桃山建築風で国指定文化財となっています。
  • 正宗寺:佐竹氏8、9代貞義の庶長子の周枢月山大和尚が夢窓国師に請うて開山し、自らその2世となった。北関東に於ける臨済禅の法域であった。
  • 瑞竜山:国見山麓の一角10万平方メートルもの瑞竜山全体が水戸家累代の墓地であり、石畳を敷いた閑寂な参道は粛とした気配を漂わせている。初代威公頼房をはじめ、どの墓所も儒葬に従った形式で、石を積上げ、2重に垣をめぐらし、璃首亀趺、馬りょう封といった形式がとられています。
    山中には、水戸学に強い影響を与え、光圀が師事した明の学者「朱舜水」の墓があります。
  • 十国峠公園:この公園はサクラに囲まれ、眺望がすばらしく、西に日光連山、南には筑波山が見え近郊の人々でにぎわっています。

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