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更新日:2019年3月8日

きのこ雑学講座7

 マツタケは,増えるも減るも人しだい

 マツタケは,主にアカマツの根に取りついて共生する菌根菌です。そして,他のきのこや細菌などとの縄張り争いにとても弱い菌です。だから,他の菌類が繁殖しにくい,土が痩せていて乾燥しやすいアカマツ林が繁殖の適地になります。

 マツタケの古くからの産地としては,京都が有名です。かつて,日本一の大都市であった京都では,建築用材や燃料として周辺の樹木の伐採が繰り返されていたことでしょう。山の地力が衰え,自然に痩地でも育つアカマツの林が増えていきました。15世紀にはすでに京都周辺はアカマツ林となり,マツタケが採れたということです。

 やがて都市近郊は樹木を伐りすぎて禿げ山になり,伐採現場が奥山へ進んでアカマツ林は都市の外側へ,そして,マツタケの産地も丹波や広島などの山間部へ移っていきました。

 大正時代になると,都市部では石炭やガスなどの燃料が使われだし,農業の肥料も山野の落葉から魚粉や稲藁の堆肥に変わってきました。人が山の資源に頼る度合いが低くなってきたので,禿げ山になってしまった場所にアカマツが戻ってきました。また,洪水や土砂流出の原因となる禿げ山への植林による治山事業も精力的に進められ,アカマツ林の面積は急増しました。そして,昭和初期にはマツタケが増え,16年には,全国生産量が統計を取り初めてから最高の12,222tを記録しました。

 戦中戦後はマツタケどころの話ではなくなり,統計の数字は急落しましたが,生活がおちついてきた昭和25年頃からまた生産量は復活しました。昭和30年代に入ると,一般家庭の燃料も薪や炭から石油やプロパンガス,電気などに急速に変わっていきました。それに伴い,アカマツ林には人の手が入らなくなり,雑木が繁茂してきました。そして,林内は暗く,風通しが悪くなり,地面には落葉が積もって土が肥えてきました。マツタケの生活環境が,どんどん悪化していったのです。マツタケの生産量は,減少の一途をたどりはじめました。

 これに追い打ちをかけたのがマツ材線虫病(松喰い虫)の蔓延です。数十年手塩にかけて育てた美林も瞬く間に枯れていきました。山林所有者は,マツを植林する意欲を失い,残されたアカマツ林は高齢化するばかりです。マツタケの発生に適する松林の樹齢は,20~30年生と言われますから,マツ林面積の減少とともにマツ林の老齢化はマツタケにとって深刻な問題です。

 かくして,かつて年間数千t台で推移していたマツタケは,現在では100t前後しか採れなくなりました。国産のマツタケを絶やさず,もっと気軽に口へ入れるためには,松林との付き合い方を考え直す必要があるでしょう。林業技術センターでは,マツタケ栽培化にむけた試験研究に取り組んでいます。その概要は研究開発トピックス(マツタケの栽培化に向けた取り組み,続報)に紹介しています。

マツタケ生産量のグラフ

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